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ブリヂストン美術館がカイユボットの《イエールの平原》を新所蔵&展示
2015-02-21ランダム表示
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久々(すぎる…)の「行ってきました」シリーズ。
今回はパリを離れてアルジャントゥイユです!
19世紀、鉄道ができたことによってアルジャントゥイユへのアクセスが容易になり
印象派の画家たちはそこによく集うようになりました。
カイユボットはもちろん、モネやルノワール、シスレーらもアルジャントゥイユを題材にした作品を描いています。
シスレーの描いたアルジャントゥイユ
アルジャントゥイユまでの行き方は簡単!
サン・ラザール駅から出ているSNCF(国鉄)の近郊線でLe Stade駅、またはArgenteuil駅下車。
ただし、アルジャントゥイユを通らない列車もあるので気をつけて!
時間にして20分くらいだったと思います。
↑クリックで全体の路線図が開きます。
アルジャントゥイユの駅
乗ってきた鉄道の橋(GoogleMapより)
↓
↓
↓
そして・・・カイユボットが描いた「アルジャントゥイユの鉄道橋とセーヌ川」です!
向こうから汽車が煙を出しながら近づいているのがわかりますか?
時代が変わって色々様変わりしてしまってもカイユボットの作品を追体験できるなんてネ・゚:*(人´ω`*)
パリを離れる・・・というとなにやら恐ろしく感じましたが
列車に乗れば最寄りの駅につきますので大丈夫!レッツGO!!
以前にクリスティーズで売りに出されていた「牡蠣の静物画」についての翻訳をお届けしましたが
先日サザビーズでも「モンソー公園」のオークションがあったようなのでまた翻訳してみました。
過去に取り扱われた作品もそれなりにあるし、また読んでみなくっちゃ!!
サザビーズの元ページはこちら >>
翻訳中の「図」については元ページをご覧下さい。
それではレッツ!
【由来】
パリ、オテル・デュルオの1877年5月28日の印象派作品売却にて。ロットナンバー4。
ロンドンのDudley Toothが1960年代に購入。
1972年現在の所有者に渡る。
落札予想価格:?800,000 – ?1,000,000 (7千万円〜1億4000万円)
販売価格:?2,617,250(3億6千万円)
〜中略(文献)〜
【作品について】
この作品は、ミロメニル通りのカイユボットの家にほど近い、パリ8区にあるモンソー公園(図2)を描いたとされるたった2枚の作品のうちの1枚だ。
こちらの作品ではカイユボットは、短く素早い筆致を使うことで青々とした下草を表現し、低木やベンチの周りの光と影の動きを研究し、明るい春の日の公園を描いた。
モンソー公園はオルレアン公の命令によって18世紀後半の英国庭園の様式で設計された公園だ。
元々は個人の私庭だったがオスマン男爵の下の公の公園に変わり、1861年に市民に一般公開された。
ロンドン王立美術館の大回顧展によって「都会の印象派」と名付けられたカイユボットは「公園」に自然と都会への愛好を結びつけるような素晴らしい主題を見いだしたのだ。
ジュリア・サグレイヴスはカイユボットとモネ(図3)の両作品についてこのように書いている。
「カイユボットとその友人モネは同時期にサン・ラザール駅周辺を描き、発表した。二人は、”市民公園\\\\”とりわけモンソー公園というサン・ラザール駅とはまた全く違う種類の近代都市風景への関心を共有しているようにも見える。この公園はカイユボットが1870年代を主に過ごした家からほど近くにあり、元々は18世紀に私的な一風変わった庭として設計されたものだ。フランス革命の間には政府の所有物だと宣言されたのだが、全体的に荒廃し使われなくなりながら約10年間個人の所有で有り続けた。第二帝政の間に政府がそれをきちんと取り戻し修復をして、モンソー公園は”パリのもっとも魅力的な散歩道のひとつ”になったのである。(J. Sagraves in Gustave Caillebotte: The Unknown Impressionist (exhibition catalogue), op. cit., p. 81)」
1870年代を通して、カイユボットとモネはしばしば似たような主題、特にパリとそれを取り巻くものを描いた。
実家が裕福であったカイユボットはこの間モネに経済的援助をし、またいくつかのモネの作品を購入し、コレクションしていった。
ジュリアはこの作品について「筆遣いや構図はモネを思い起こさせる。しかしカイユボットの描写は、モネが描いた公園の光景というよりも、当時カイユボットが所有していた”アパートの室内(図4)”に似ている。両作品には広く平坦な通路(公園の歩道・床)、前面への急な傾斜、作品の中央の断ち落としが見られる。また両作品の通路の終わりには孤独で、妙に小さく、ぼんやりとした人物が植物に覆われ、ほぼ埋められるように立っている。カイユボットはこのようにモンソー公園を描くことで、家の近くにある公園と快適でもあり不吉な感じでもあるプライベートな内面空間をなぞらえたのだ。 (ibid., p. 81)」と述べている。
ファッショナブルな衣服をまとった男女や子供のいるモンソー公園の社会的な側面を描いた(図3)モネと違って、カイユボットは緩やかなカーブの歩道を中心に置きその上に覆うように青々とした下草を描くことで、殆ど内面の幻影であるかのような公園のより孤独な面を表現した。
植物や木々が慎重に描かれていると同時に、こちらに向かって歩いてくる小さな男性の人影を圧倒し、構図を支配している。
大ざっぱで数少ない筆で描かれているが、男性はグレーのスーツと帽子をかぶったパリ紳士と分かる。
さらに、注意深く配置された低木や芝小道や規則正しく配置されたベンチは、都市の雰囲気を醸しだし、同時に力強くダイナミックな構図を作り出している。
来るべきブリヂストン美術館のカイユボット展に何が来ていたら個人的に嬉しいか考えてみました!
(嬉しいか、というだけで予想ではありません。・・・暇なんですね^^;;)
まずこの三点はカイユボットの代表作として殿堂入り!
「床の鉋かけ」
「ヨーロッパ橋」
「パリの通り、雨(パリの街、雨)」
ここからは、色々迷って残り7点絞りました!!(順不同)
「ヨーロッパ橋 (別バージョン) 」
この色味、そしてこの構図!
作品の大部分を占める大胆な鉄骨、その隙間から見えるサン・ラザール駅の汽車と噴き出す蒸気。
それを眺める男たち、足早に過ぎる男。そしてそれをばっさりと切るカイユボットの思い切り!
いつ見ても惚れ惚れするわー。
なぜ印象派展に出展しなかったのだろう??
「オースマン」
水平線の映っていない川、顔のない男達。
この構図もなかなかできる事じゃないと思います。
こうして画像を見ている時と、実際本物の作品を見る時とでは自分の立ち位置(目線がどこにあるか)が違う事って多いので、この作品の場合自分はどこから見ているテイになるんだろう…と楽しみなのです。
「昼食」
こちらこそ画像と実際の作品を見た時とで立ち位置が全然違って驚いた作品。
実はジャックマール・アンドレ美術館での展覧会に出展されていて、
もう一度みたいと思っているもののひとつです。
この作品の手前にお皿が並んでいるのですが、前に立った時「あ、ここが自分の席なんだ、これからここに自分は座るんだ」と思いました。そしてその割にはなんだか暗い室内と会話のない家族の食卓。
不思議な感覚に襲われます。
「室内、窓辺の女性」
こちらも同様にジャックマール・アンドレ美術館に出展されていました。
とても印象深かったので、もう一度見てみたい!!
目の前に立ちはだかる女性の圧倒的無言の背中!
物憂げで凜としていて、不満があり決意がある。(気がする)
日本語版の解説にどんな事が書いてあるのかも読んでみたいです。
「マダムXの肖像」
青と黄色で描かれたパステル画を一点。
できれば「R氏の肖像(男の肖像)」と並んで展示されていたらなお嬉しい。
このこの青白い吸血鬼みたいな男性の肖像画を画中画に載せるくらいカイユボットが気に入っていたのか、はたまたR氏とマダムXが夫婦か何かだったのか。
何故この摩訶不思議な色合いで描いたのか。
「プティ=ジャンヌヴィリエのリチャード=ガロとディック」
わんちゃんがいつも楽しそうだなぁ〜って。
この絵を見たらきっと楽しい気分になれると思います。
「ヨーロッパ橋」もそうですが、犬に連れられて作品の中を巡れるなんてきっとワンダフル。
「プティ=ジャンヌヴィリエの岸辺、冬」
白黒の画像しか見たことのない作品はなかなかランクインしませんでしたが、
こちらはカイユボット最後の自画像ということで、一度見てみたいと思っています。
どんな色合いで、どんなタッチなのかしら。そしてどんな気持ちで描いたのかしら。
他にも図録で白黒しか見たことのない作品が来ていたら嬉しいな!
あと、食べ物&食材シリーズも見てみたいな!
それからこうしたサムネイルでは全然気がつかないけれども、実際に見てみたら新しい発見が色々あるような良い作品が来ていたらいいな!
ようするにとても期待しています(*゚ω`人)
そしてこちらはブリヂストン美術館さん所蔵の作品となりましたので当然出展されているでしょうが、
これを機会に研究発表などあれば嬉しいですね。
「ピアノを弾く若い男」
パリの有名なオークション「ドゥルオ」のコラム?に
カイユボットの新しく発見された作品についてのものがあると教えていただいたので読んでみました〜。
この作品「腰掛ける若い女性」はベルオのカイユボット全集には掲載されていません。
いつどのような経緯で発見されたのか不明ですが、最近発見された作品なのでしょう。
女性が無背景の中椅子に腰掛けてこちらを向いている作品です。
全体にグレー味を帯びていて少し物憂げな印象を受けます。
以下、翻訳してみましたがそこまで自信はありません^^;;;
元サイトはこちら >>
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誰なのか。
正体が分かっていないモデル、未公開作品、多様な側面をもつ画家
手がかりは「ギュスターヴ=カイユボット」というサイン
「カイユボットの作品が地方にある」この知らせは我々をおおいに喜ばせました。さらに話はそこで終わりませんでした。少し不機嫌そうな態度、孤独に満ちたまなざしを持ったこの女性の影に、もっとも偉大な印象派画家の一人のサインがあったのです。
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1879年、カイユボットは画家でもあり印象派の重要なパトロンの一人でもあったので、この革新的な芸術運動の中心となっていました。
カイユボットは1848年8月19日に、ナポレオン三世の統治下に軍に寝具を販売するという織物業での成功後、オスマン男爵の偉大な業績の時代の不動産投資によって財をなした家庭に生まれました。若き日のギュスターヴはパリ最大のリセ(学校)の中の一つルイ・ル・グラン校で勉強し、弁護士としての明るい将来を決めながら、1870年にアカデミー画家レオン=ボナの画塾に入塾し家族を驚かせます。それによってエコール・デ・ボザールにて生涯の友人であるドガ、モネ、ルノワールらと出会います。
1874年は全てを変えた年でした。第一回印象派展が開催されましたが、それにカイユボットは参加しませんでした。というのはカイユボットの父親が亡くなるという悲しい出来事が起こったからなのです。父親はその妻と4人の子供達に約200万フラン、不動産、有価証券を残しました。言うなればその資産所得だけで生活できるという幸運なことでした。カイユボットは生活に困窮することなく、全ての情熱を捧げることができるようになったのです。そのため作品を売る必要がなく、彼が死ぬまで作品の3/4は家族が所有していました。
パトロンとなることで、カイユボットは印象派の友人達を経済的に助け、展覧会を支えました。自身も1876年の印象派展にはその前年サロンに落選した、今や有名な「床の鉋かけ」を出展しています。
そしてもっとも充実した制作期を経、その10年後、他に情熱を注いでいた造船やガーデニングにさらに時間をかけるためにジャンヌヴィリエの家に隠居しました。
カイユボットは若くして45歳の時に死去します。ピサロは「我々は誠実で献身的な友人を失ってしまった。悲しいことに彼は良き人であり、さらに有能な画家だった」と書いています。
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長い間正しく評価されていませんが、カイユボットの作品は風景やパリの景色だけでなく、品の高い肖像画で成り立っています。オルセー美術館にあるカイユボットの最後の自画像はよく知られています。そしてその自画像とは「斑模様の背景」「同じような光と陰の使用」という点でこの若い女性の肖像画との共通点があります。
カイユボットはブルジョワ趣味の室内にモデルを配置することや、椅子に腰掛けた斜め3/4のポーズを好みました。1877年頃描かれた「室内にいる若い女性の肖像/マダムHの肖像」にもこの若い女性モデルとの驚くほどの類似点が示されています。
しかしこの「腰掛ける若い女性」のモデルの正体は不明です。研究社テュルカンは[恋人のアン・マリー=アジャン(シャルロット)なのでは?]、[友人でありフランス憲法の編集者であったリチャード=ガロの妻では?]という説を否定しています。
確かにこの作品はカイユボットに特徴的な青色、灰色、紫色が使用された簡素で洗練された肖像画なのです。それはまた象徴的な作品でもあります。この作品が描かれた1879年、カイユボットは家族にとって一大事であり悲しい出来事に従事していたためあまり作品を描きませんでした。1876年に弟のルネが、1878年に母親が亡くなり、思い出のつまったイエールの所有地を売却に出したのです。
この女性の表情から感じられる孤独でノスタルジックな感情は一体何から来るのでしょう。
落札予想価格:120,000-150,000ユーロ
ギュスターヴ=カイユボット (1848-1894)「腰掛ける若い女性」
サインと年:“G.Caillebotte/79”, 71×55 cm
11/24(土)ナンシー、Nabecor Enchères SVV. Cabinet Turquin.
Qui est-ce ?
Un modèle inconnu, un tableau inédit et un peintre aux facettes multiples…
Jeu de piste autour de ce portrait signé Gustave Caillebotte.
Un Gustave Caillebotte en régions. L’annonce avait déjà de quoi nous plaire ; l’histoire, en plus, ne devait pas s’arrêter là. Derrière son attitude quelque peu renfrognée, son regard empli de solitude, cette jeune femme nous révèle d’abord un tableau signé d’un des plus grands peintres impressionnistes. Daté 1879, il se place en plein coeur de ce mouvement pictural révolutionnaire, dont Caillebotte fut à la fois l’un des artistes et l’un des mécènes les plus importants. Il n’est pas inutile de revenir sur sa biographie. Notre artiste a vu le jour un 19 août 1848, dans une famille qui avait fait fortune dans le textile sous Napoléon III – son père vendait des draps aux armées –, puis dans de multiples et judicieux investissements immobiliers, au moment des grands travaux du baron Haussmann. Le jeune Gustave effectue comme il se doit ses études dans l’un des plus grands lycées parisiens, Louis-le-Grand. Promis à un brillant avenir au barreau, il surprend son petit monde en s’inscrivant dans l’atelier du peintre académique Léon Bonnat, en 1870. Il passera également un temps à l’École nationale des beaux-arts, où il rencontre ses fidèles amis, Edgar Degas, Claude Monet et Pierre-Auguste Renoir. L’année 1874 sera celle de tous les changements. S’organise alors la première exposition impressionniste, que Caillebotte soutient sans toutefois y participer. Un autre événement, tragique celui-là, a également lieu : le décès de son père. Ce dernier laisse à sa veuve et à ses quatre enfants quelque deux millions de francs, des biens immobiliers et des titres à se partager, autant dire une fortune qui leur permettra à tous de vivre de leurs rentes. Gustave peut désormais se consacrer entièrement à sa passion, sans se soucier du lendemain. Nul besoin de vendre ses tableaux, dont les trois quarts resteront jusqu’à sa mort dans la famille.
Devenu mécène, il fait largement profiter ses amis impressionnistes de son argent, soutenant toutes leurs expositions, auxquelles il participe à partir de 1876, un an après l’offense du refus au Salon officiel de ses désormais célèbres Raboteurs de parquet. Sa plus grande période de création s’ouvre alors, et s’achèvera une dizaine d’années plus tard, quand il se retire dans sa maison de Gennevilliers pour s’adonner plus largement à ses autres passions, à savoir la construction navale et le jardinage.
Il y décède à seulement 45 ans. “Nous venons de perdre un ami sincère et dévoué… En voilà un que nous pouvons pleurer, il a été bon et généreux et, ce qui ne gâte rien, un peintre de talent”, écrit Camille Pissarro. Longtemps méconnu, son oeuvre se compose de paysages, de vues de Paris, mais aussi de portraits de grande qualité. Chacun connaît son dernier Auto portrait, conservé au musée d’Orsay. Il présente d’ailleurs des similitudes avec notre Portrait de jeune fille : même usage du fond moucheté, mêmes jeux d’ombre et de lumière. Caillebotte aime également placer ses modèles dans des intérieurs bourgeois, assis de trois quarts dans un fauteuil, comme en témoigne un Portrait de jeune femme dans son intérieur ou portrait de Madame H, une toile datée vers 1877 présentant une confondante ressemblance avec notre modèle. Pour autant, son identité demeure un mystère. Dans ses recherches, le cabinet d’expertises Turquin réfute plusieurs théories, dont l’une nous mène vers une maîtresse du peintre, la dénommée Anne-Marie Hagen dite Charlotte Berthier, une autre conduirait vers la compagne de son ami Richard Gallo, directeur du Constitutionnel… Demeure avec certitude un portrait d’une élégante sobriété, marqué par les bleus, gris, mauves et violets typiques de Gustave Caillebotte. C’est aussi une toile emblématique. En cette année 1879, le peintre travaille moins, sa tête est aux affaires familiales, plus importantes et tristes. Après le décès de son frère René, en 1876, puis de sa mère en 1878, il s’occupe alors de vendre la propriété familiale de Yerres, où il avait tous ses souvenirs. De quoi se sentir seul et nostalgique, des sentiments perceptibles dans ce visage féminin.
Estimation : 120 000/150 000 euros.
Gustave Caillebotte (1848-1894), Portrait de jeune femme assise,
toile d’origine signée et datée “G.Caillebotte/79”, 71 x 55 cm.
Nancy, samedi 24 novembre. Nabecor Enchères SVV. Cabinet Turquin.
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昨年11/24にナンシーにあるギャラリーで206,400ユーロ(約2,500万円)で落札された模様です。
落札予想価格を上回ったようですね。
例によって、どんな人(団体)が落札したのか気になるなぁ〜。
1879年に描かれた「ジュール=リシュモン氏の肖像」に比べると随分大人びてアンニュイな(という言い方がしっくりくるのかわかりませんが・・・)作品のように感じます。
こちらの方は第五回印象派展に出展したことを考えると、この「腰掛ける若い女性」にはまた別の思いがあったのでしょうか。
オランダはデン・ハーグ美術館で「カイユボット展」が開催される模様です!!
(2013/2/2〜 公式サイトはこちら)
※会期終了は公式サイトに具体的な記述がありませんが5/20とのことです。
(追記:5/20だと公式に記載されているのを確認しました。(2013/02/02))
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これって、先日のシルン美術館で開催されていた企画展の巡回先・・・???
詳細が全然わかりませんが、下記の3点がでることだけ確実です。
なんにしても世界でカイユボットが注目されてきているという感じがして楽しいです!!
床の鉋かけ
洗濯物、プティ=ジャンヌヴィリエ
オスマン大通りの安全地帯
その他の展示情報はTOPページに載せていますのでご覧下さい。
またもし何か情報をお持ちの方はメール、またはTwitterでお知らせいただけると大変大変喜びます。
あけましておめでとうございます!
今年はなんということかビッグニュースが飛び込んで参りました。
昨年カイユボットの「ピアノを弾く若い男」を所蔵したブリヂストン美術館さんが
なんとカイユボット展を開催されるそうです!!!
ギュスターヴ・カイユボット展 (仮称)
ギュスターヴ・カイユボット(1848–1894)はモネやルノワールとともに印象派を代表する画家で、1876年の第2回印象派展以降、5回にわたって印象派展に参加しました。その存在は、仲間の作品を購入することによって、経済的に彼らを支えたほか、印象派展の開催の継続などでも、仲間の意見調整や経済支援などをおこなった人物として知られています。しかし近年では、印象派の画家としての活動に関心が集まり、作品の再評価が進んでいます。すなわち、ドガと同様に、近代都市パリの新しい風俗や都市風景を光り溢れる繊細な筆致で描いた作品に関心が高まっているのです。本展は、印象派を中心とするコレクションを美術館の中核にすえるブリヂストン美術館が、開館以来半世紀を経て、印象派の代表的な画家であるギュスターヴ・カイユボットを日本において初めて紹介しようとするものです。
ドイツはフランクフルトのシルン美術館でカイユボット展がやるみたいですよー!
シルン美術館の公式案内はこちらから
「ギュスターヴ・カイユボット 〜印象派と写真〜」
2012/10/18〜2013/1/20(現地)
例によってあんまり自信ないけど
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シルン美術館ではフランスの印象派画家ギュスターヴ・カイユボットの多数の作品とドローイングを展示する展覧会を開催します。カイユボットの研究はドイツではまだあまり進んでいませんが、このすぐれた芸術家はフランス、イギリス、アメリカではすでによく知られています。
カイユボットの作品は、フランスの印象派への新しく、基本的で、補完的な新しいアプローチを切り開いています。彼の非常に急進的で近代的かつ写真のような表現は、新しい「見方」の中で、写真と絵画の間の密接な関係を再構築しました。
しかしカイユボットの作品の多くは、アングルや構図のトリミングにおいてだけでなく、動きや抽象化など写真撮影ではもっと遅くにならないと現れないような写真の構図を先取っています。
展覧会は、19世紀後半から20世紀初頭から写真撮影の優れた例も展示し、カイユボットの先駆者としての役割を明確にしていきます。
————-
んー、面白そうですね!
私は「彼の風景をとらえる「眼」そのものが、レンズに近かったのかもしれない」とは思っているのですが、
じゃあ実際に作品を描く際にどのくらい撮影した写真を参考にしていたのか、ということはよくわからず、
そういう研究には非常に興味があるのです!
シルン美術館のwebマガジンにも詳細が載っています。
こちらはドイツ語しかないので挫折しましたが、
・カイユボットとムンクが時代は異なるものの同じレオン・ボナに師事していた
・ムンクがカイユボットに非常に影響を受けたこと
・レオン・ボナは早くから写真技術を作品制作に取り入れたこと
・ボナは教師としてアカデミックな表現だけでなく、革新的な表現も教えていたこと
などが書かれています。
レオン・ボナが写真技術を取り入れていたとは知りませんでした。
そうなると、カイユボットは写真家である弟マルシャルからの手ほどきだけでなく、レオン・ボナにそういった技術を学んだ可能性は大ですね。
ご興味のある方は、上記サイトへどうぞ。(そして私に内容を教えてくださいmm)
残念ながらドイツには行けないけど、ネットでカタログは買うつもり!
ヨーロッパ橋も展示されるんですね。
あとは何が出るんだろう。早く特設サイトができないかな。
ちょうど(おそらく)カイユボットが枠まで描いたデッサンがあったので
カイユボットの代表作のひとつである「ヨーロッパ橋」と、そのデッサンを重ねて比べてみました。
↓横幅を合わせたもの
↓縦幅を合わせたもの
どちらもしっくりきません。幅が余ってしまいます。
先にデッサンで決めた構図と、実際のキャンバスの縦横比がマッチしなかったのかしら?
まぁでもそんなことはよくあることなのかも。
今度はなるべく全体が合うように重ねてみました。
奥の建物(右手)と道路が基準です。
そうすると、奥の建物(左手)の高さと橋の欄干の一番手前の部分の位置がずれてきてしまいました。
(赤い矢印の所ね。)
逆に欄干の手前部分(黄色い矢印)を合わせると、全体がかなりずれてきてしまいます。
細部の位置を変更したのは「遠近感」を強調させるためだったのでしょうか。
カイユボットの、割とリアルなのに何か不思議な感覚を感じさせる作風は
そういう細かい「ズレ」から来ているのかもしれませんね。
といっても、ヨーロッパ橋&このデッサンだけで結論づけるのは早計。
本気でやるならもっとポイントを取って重ねて検証してみないとね。
この橋と道路と奥の建物のみのデッサンも何枚か描いていて
今回重ねたデッサンが何枚目のデッサンかもわからないし。
あとヨーロッパ橋は習作も多いから、そっちも今度検証してみようっと!
いやぁ、忙しいなぁ(w´ω`w)
1978年10月22日に、母親のセレステが亡くなったこともあり
ギュスターヴと弟のマルシャルはミロメニルの家を離れ、
翌年からオスマン大通りの31番地に2人で暮らし始めました。
この家はオスマン大通りとグリュック通りの角地にあり、上から二番目の階だったため非常に見晴らしのいい住居でした。
この写真の手前がグリュック通りで、向こう側がオスマン大通りになります。
より大きな地図で カイユボット関連地図 を表示
カイユボット(ギュスターヴ)はそこからの眺めをたいそう気に入ったようで
そこから見える通りの様子や上から見た眺めを数多く残しています。
2人の家には多くの友人が訪れ、カイユボットは友人たちの様子なども描きました。
[上から見た眺め / view from upper]
[バルコニー / balcony]
ここにカイユボット達が立っていろいろながめたのかなぁ・・・ (*´∀`*)
1881年または1882年にパリの郊外に引っ越しをするまでこの家で過ごしています。
この建物の下は1990年よりソシエテ・ジェネラル証券によって使われています。
中はこんなみたいですよ( ゚Д゚)
もちろん改装をしたとは思いますが、パリの中心地にあってこの内容。。。
きっとこのカイユボットのアパルトマンも随分お高いお値段だったのでしょうね。
この度、ブリヂストン美術館さんにご丁寧にメールをいただきまして、
「あなたに見せたい絵があります。−ブリヂストン美術館開館60周年記念−」
の内覧会にお邪魔して参りました。
私の目的はもちろんコレ、
ブリヂストン美術館が新しく所蔵した「ピアノを弾く若い男」です!
日本の美術館では初めて※カイユボットの「前期」の作品を「常設」したのですから
Caillebotte.netとしては喜び勇んでお伺いするしかありません。
※初期でない作品では東京富士美術館の「トゥルーヴィルのヴィラ」があります。
あと、古い情報ですがAska International Ltd.,が2作品持っているとかいないとか?(未確認)
※再発見は1970年代です。
最後にブリヂストン美術館さんの宣伝を
「あなたに見せたい絵があります。-ブリヂストン美術館開館60周年記念」
2012年3月31日(土)〜2012年6月24日(日)
学芸員の方たちの、純粋に「これら絵を見てもらいたい!」という珠玉の109作品が展示されています。
ここはカイユボットブログと言うことでその他の作品については触れませんが
その他の作品も見応えのある作品でした。
約三ヶ月という長い会期に加え、休館日は4/15(日) 4/23(月) 5/28(月)のたったの三日間!
この展覧会にかける思いが伝わりますね。
東京駅からもすごく近いので、旅行の空いた時間に行くことだってできますよ!
また、今回の展覧会の図録にも約8ページにわたって
「ピアノを弾く若い男」の解説文が載っています。
カイユボット単体の解説文は日本では数少ないですから、これも是非とも読んでください!
「ピアノを弾く若い男」サイト解説文