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KIRIN〜美の巨人たち〜 にて

美の巨人たちで「床を削る人々(床の鉋かけ)」の放送があったらしいのですよー。
私は全く知りませんでがっかりです。
今のところ再放送の予定はないみたい。しょぼりんこ。

繊維業で財を成したブルジョアジーの家に生まれたカイユボットは、法律家になってほしいという父親の思いとは裏腹に画家を志します。
そして、第一回印象派展を見て、ドガに強い憧れを抱きます。
展覧会から一目散に帰って描いたのが今日の一枚、「床を削る人々」だといいます。

部屋で床を削る名もなき3人の労働者、それは画家の一番身近にあったパリの現実でした。
カイユボットはこの作品をサロンに出品、しかし落選してしまいます。
主題が卑しいからという理由でした。

ちょうどその頃から、カイユボットの不思議な行動が始まりました。
彼は創作活動の傍ら、他の印象派の画家たちの絵を片っ端から買っていきました。
それは、一体何故なのか?そこには、カイユボットの壮大な目的があった・・・。
(KIRIN〜美の巨人たち〜 より抜粋)

うっは〜ん。気になる。



ここからは私の推測ですが、

カイユボット父親にはかなり言いしれぬ思いがあったような気がします。
母親の絵は何枚か描いていますが、父親をモデルとした絵は一枚も描いていません。
もっとも母親を描いた絵も父親の没後ですから、母を描くことですら、父親に遠慮していたのかも。

カイユボットは父の希望に従って法律の勉強をしていましたが、同時に美術の学校にも通っていました。
その美術学校も印象派とは真逆の感じのエコール=デ=ボザールという官営の学校だったのですが
それですら父の影響があったのではないかと思っています。

でも、やはりカイユボットにとっては何か、違ったのでしょうね。
ほとんど学校には通っていませんでした。



第一回印象派展が開催されたのは、奇しくも父親が亡くなったのと同じ年でした。
絶対的抑圧の存在から解放されて、カイユボットはようやく自分の我こそはと思う道に進み始めたのかもしれませんね。




GoogleMap導入しました

GoogleMapのマイマップで、カイユボットゆかりの地(パリ編)を記してみました。

こちらからどうぞ »

緑のポイントはカイユボットが実際に描いた場所を示しています。
黄色の家型はカイユボットの住んだことのある場所です。
赤のポイントは印象派展の開催地です。(多少ずれがあります)
クリックするとカイユボットが出品した作品(1点)が表示されます。


また、作品詳細の方にもGoogleMapを導入しました。
地図のある作品には一覧に「地図有り」と表示されますので
是非チェックしてみてください。
地図のある作品一覧


きっとカイユボットのことがずっと身近に感じられると思います♪


今後も追加予定です。
ここの場所を知りたいとか、何かご質問などあればわかる範囲で追加していきますので、お気軽にどーぞー。

カイユボットの師、レオン=ボナ

レオン=ボナ(Leon-Joseph-Florentin Bonnat,1833-1922)は当時非常に有名な画家で、
アトリエを構えて多くの生徒が彼に師事していました。
ムンクやデュフィー、ブラック、日本人では五姓田義松なども彼のアトリエに通っていました。

カイユボットがボナのアトリエに通い始めたのは1870年、22歳の頃だといわれています。
また25歳の頃「ボナの弟子枠」(ボナの推薦状?)でエコール=デ=ボザールに合格をしています。

レオン=ボナのジェロームやカバネル(というよりはブーグローかな?)にも似たサロン風のしっかりとした構図の絵やその顔立ちは
確かにカイユボットの印象派展期の画風の中にも見て取れるような気がするのですがいかがでしょうか?

みなさんも、どこかの美術館でレオン=ボナの絵画を見かけたら、
カイユボットが彼から受けた影響を感じ取ってみてください。

レオン=ボナ(Leon-Joseph-Florentin Bonnat)|メアリー=シアーズ(後のフランシス=ショー夫人)|1878|ボストン、Museum of Fine Arts

「ポール=マルリー近くの舟置場」、日本に来ていたんですってよ。

Remise de Barques pres de Port-Marly(ポール=マルリー近くの舟置場)」という作品が、どうやら1990年に日本にきていたんですってよ。

展覧会名は「印象派-フランス・ドイツ絵画展 Impressionismus in Deutschland」。
横浜、浦添、福岡、神戸を巡回していたようです。
その他の地域はわかりませんでしたが、横浜はそごう美術館に1990年6/6〜7/1まで。(会期短っ!)
浦添は浦添市美術館かな??

横浜美術館の図書館にこの時のカタログが残っているみたいなので、今度横浜に行ったときに見てみたいと思いまーす。



カイユボットがモデルになったルノワールの作品

この絵はルノワールが多くの友人をモデルに描いた作品として有名ですが、
右手前の帽子をかぶった男性は、カイユボットがモデルだと言われています。


ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)|船遊びの人々の昼食|1880-81|ワシントンDC、The Phillips Collection

兵役時の記録

カイユボットは1870年7月26日から数ヶ月間セーヌ県の機動憲兵隊(第八歩兵隊第七隊)に召集される。(普仏戦争)
軍の記録には「身長1m67cm、赤褐色の髪とまゆげ、グレーの瞳」と記されている。

もう少ししっかり読もうと思ったのですが、文字が装飾的すぎて読めませんでした^^;

ギュスターヴの幼少の頃のパステル画

【左】1歳の頃(1849)
【右】5歳の頃(1853)
Jul. Bally画 パステル。両親を描いたパステル画はこちら

この時代の肖像画ですからどこまで似ているかはわかりませんが、
カイユボット家がそこそこお金持ちだったことがうかがい知れますね。

wikiで発見

英語のwikiのYerresのページに、カイユボットに関する記述があるのを発見しました。

In 1860 the father of Gustave Caillebotte bought an estate on the banks of the river Yerres and the famous impressionist painted around 80 paintings there, until the sale of the estate in 1879.
The most famous paintings the artist made in Yerres are Portraits a la campagne, Baigneurs, Bords de l’Yerres, Canotiers ramant sur l’Yerres.
The estate and its magnificent garden are now owned by the town an open to visitors.

ギュスターヴ=カイユボットの父親は1860年にイエール川岸の不動産を購入し、1879年に売却するまで有名な印象主義者(ギュスターヴ=カイユボット)はおよそ80枚の絵画をそこで描いた。
画家がイエールで描いたもっとも有名な作品は「イーゼルの前の自画像」「水浴」「イエールのボート」「ボートを岸に引き寄せる人」などである。
現在ではイエール市が所有しており、その邸宅とすばらしい庭が観光客に公開されている。

だそうです。
いってみたいのぅ。



Gustave Caillebotte|Canotiers ramant sa perissoire ボートを岸に引き寄せる人|1878|73cm×91cm|リッチモンド、Virginia Museum of fine Arts




その他wikiのカイユボットのページです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Caillebotte
弟マルシャルのページ(フランス版)
http://fr.wikipedia.org/wiki/Martial_Caillebotte


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