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遺書、will

1876年の遺言

カイユボットは1876年に遺言を書いています。
それからさらに1883年と1889年に追記をしています。

以下は、最初の遺言を訳したものです。

(ただ、、、全体的にちょっと自信がないんだけど・・・)


         *     *

私は、1878年に非妥協派もしくは印象派として知られる画家達の展覧会が最高の状態で開かれるために必要な金額が私の財産から使われることを望む。
現在のところその金額を算出するのは難しいが、それは3〜4万フランかそれ以上になるだろう。
この展覧会に加わる画家は、ドガ、モネ、ピサロ、ルノアール、セザンヌ、シスレー、モリゾだ。
私は彼らの名をあげるが、他の人を除外するというわけではない。

私は、国に私の所有する絵を寄付する。
私が望むことはこの遺贈が受け入れられることだ。 屋根裏部屋でも、地方の美術館でもなくリュクサンブール へ、後にルーヴルへ受け入れられることを望む。
この遺言が履行されるのには、市民に受け入れられるまで、どのくらいとはわからないがかなりの時間がかかるだろう。
それは20年か、それ以上かかるかもしれない。それまでは私の弟マルシャルか、彼が達成できなかったときは私の相続人がそれらを管理するものとする。
ルノワールに私の遺言執行人を依頼する。また彼が選ぶ絵を彼にあげるてほしい。ルノワールは重要な執行人となるだろう。

1876年11月3日パリにて複写


         *     *

【書籍2】に原文(フランス語)と英文の全文がでているので読んでみたい方はそちらをご覧下さいナ。

1883年の遺言補足

カイユボットは1883年に、1876年の遺言の追加補足をし、あわせてモーに住む友人のアルベルト=クルティエに預けました。

この遺言の中でカイユボットはシャルロット=ベルティエなる女性に遺産の一部を残しました。
この女性はカイユボットの恋人といえる女性ですがあまり詳しいことはわかっていません。

また、ルノワールが借金の心配をしないように気遣っています。
ジェニー=クルティエ(モーで1877年6月20に生まれた)はアルベルトの娘で、カイユボットは彼女の代父でした。
(代父:洗礼式に立会い、神に対する契約の証人となる。名付け親となることもある)

         *     *

これは私の遺言である。

私の弟ルネが亡くなった1876年に私が作成した遺言は、私の友人アルベルト=クルティエによって発表されるだろう。
1878年の展覧会に関する意志は、当然不必要となったが、私は他の画家が描いた絵を遺贈するという意志の全ての部分を維持する。
ルノワールについては私が彼に貸したお金について決して心配があってはならない、彼の借金から完全に自由にし、彼をレグラント氏との連帯、個別責任から完全に解放するつもりである。

シャルロット=ベルティエ嬢には1万2000フランの終身年金を残す。
この年金は差し押さえられることなく、毎月支払われること。15日ごとなら更にが好ましい。この件をアルベルト=クルティエに一任する。この年金は、すべての相続税とは全く別のものとする。

私のゴッドドーター、ジェニー=クルティエに、2万フランを残す。
そして弟のマルシャルには法的に彼のものになる株に加えて、二人で所有していた不動産と私個人が所有していた不動産を譲る。

1883年11月20日パリにて作成

1889年の遺言補足

最後の遺言補足です。
シャルロット=ベルティエというカイユボットの恋人に自分の家を残すことにしました。
実際にこの遺言は実際に執行されたそうです。

ルース氏はボートデザイナーでした。


         *     *

私は、上記のすべての条項を維持します。
加えて、シャルロット=ベルティエ嬢に私が所有するプティ=ジャンヌヴィリエの家を譲ります。
この家は現在ルース氏に貸しているが、すべての相続動産税が掛からないものとする。

1889年11月5日プティ=ジャンヌヴィリエにて


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