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洗礼の記録

カイユボットが洗礼を受けた時のパリ5区の記録の訳です。
生まれたのは19日、洗礼を受けたのが21日です。

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セーヌ県の1848年の出生記録

8月21日、午前10時

出生、ギュスターヴ、男児、今月19日、フォブール=サン=ドニ通り160番地の両親の家にて午後3時20分。

父親マルシャルは49歳、軍の寝具請負業。妻セレステ=ドーフレヌ=カイユボット28歳、主婦。
子供の調査と報告は父親によって行われた。
パリの5区の区長と、軍の寝具請負会社の経営者であり会社の前述の物件に住むジャン=ギュスターヴ=ラコステ44歳と、会社に勤め、同地に住むピエール-ルイ=ラヴィエール49歳、これらの者がその記録を確認し、私の前で署名をした。

M.カイユボット、ラコステ、ラヴィエール、区長ヴェ

記録より公式複写
1857年9月24日 パリ
第5区区長
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発見!消えたl’Île Marande => Marante

カイユボットはいくつかの「l’Île Marande マランデ島」というタイトルの風景画を描いています。
でもずーっとそのマランデ島のある場所がわかりませんでした。

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と、思ったら「Maran’te’島」であることが発覚!
(でも、、本にMarandeって書いてあったの)
Maranteで検索したら、あっという間に見つかりました。
住所だって「Parc Ile Marante」・・・
場所は、以下のあたりで間違い無しです。
(2011/04/05)
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マランデ島の描かれた作品はこちら


セーヌ川とマランデ島の先端

Google先生に聞いても、有力な情報はヒットしません。

作品からわかる情報は


そこでセーヌ川を河口からくまなく探したのですが、見つかりません。

もうひとつ

これは重要な情報です!
ブゾン橋はカイユボットが晩年住んでいたプティ=ジャンヌヴィリエから少し行った所にある橋です!

するとブゾン橋の近くにサン=マルタン島があるではありませんか!
サン=マルタン島はマランデ島なのでしょうか!?

しかしサン=マルタン島が改名した?という情報もみつからず、
もしや場所の名前ではないのかも?と思い
フランス人に聞いたらなんとか知っているだろうかと拙い英語でメールを書き掛けておりましたが、、、

先日、
なんと、
マランデ島、発見☆



1898年の地図に存在していました。
どうやら近年の工業化で埋め立てられてしまったようです。
※島の大きさは不明です。上図の点線よりは小さいかも。

建物はなくなるけど風景は変わらない、とすっかり思い込んでしまって、反省です。

今はもうカイユボットと同じ風景を見ることは出来ないのですね。
いつかブゾン橋に行って後地に出来たと思われるParc Departemental Pierre Lagravereでも眺めようっと。

2010-09-15 足跡 Comment

イエールの菜園

この作品はカイユボット家の別荘のにある菜園の様子です。


庭師たち

カイユボット家はここで4人の庭師たちを雇っていました。
彼らは青色の作業着を着て、裸足で作業をしています。

pot.jpg これはガラスでできた苗を覆う「苗帽子」なるものです。
苗を強風や急激な温度変化、外敵などから守る小さな温室といったところでしょうか。
クレーポットを挟んで隙間をあけてあるようです。
左手にあるのも苗帽子かもしれませんね。


bord.jpg画面奥にある白い屋根上の物ははじめ「小さな温室」かと思ったのですが、
こちらは斜めに立てかけた日よけのようです。


こちらの場面も同じ菜園の別場面。


イエールの菜園

真ん中にあるくぼみの中には水がためられていて、
水くみに利用できるようになっているそうです。
庭師たちもここの水をじょうろにくんで苗に水をやっているのかもしれませんね^o^

こちらの絵は庭が左右対称に描かれていて、庭の幾何学的な一面をクローズアップしています。

これは斬新な作品だわい!

実は今まで「カイユボットの構図は斬新だ」という意見は何度も目にしていたけれど、
お恥ずかしながらどうもそこまでピンと来ていませんでした^^;

ところが「印象派 (岩波世界の美術) 」の中に
カイユボットの「パリの街角、雨」と、ジャン=ベローの「The Church of Saint-Philippe-du-Roule, Paris(パリ、サン・フィリップ・デュ・ルール教会)」が並んで比べられておりまして、ホントびっくり!!
あらまぁ確かになんて斬新な作品なんでしょう!!!!(遅






確かに実際そこにいたらこのように見えるであろうパリの眺めのジャン=ベローに比べたら、
カイユボットの作品のなんと斬新なこと。
まさに衝撃ですよ!
(もちろん、私ジャン=ベローの絵は大好きですし、どちらがいいとか悪いとかそういう話ではないですけれども。)
その斬新さは「新しいパリ」「構図と遠近法」に集約できると思います。


///////////// 新しいパリ /////////////
・新しいパリの街角という主題
この頃のパリは、時のオスマン知事によって汚らしい街から近代的な街に生まれ変わろうとしていました。
カイユボットは「ヨーロッパ橋」でもその当時できた駅近くの鉄橋を描いているように、
近代化していくパリの街に非常に興味を持っていました。

どこか砂埃感のあるジャン=ベローのパリに比べて、
すべての道路が舗装されたカイユボットの作品からは、「パリ大改造」の最先端な感じが漂っています。
カイユボットの作品と、ジャン=ベローの作品に同じ形の外灯があるのがまたおもしろいですね。

カイユボットの作品を見た当時の人はその新しい主題に驚いたのではないでしょうか。


///////////// 構図と遠近法 /////////////
・手前の人物を切り取った思い切った構図
描かれている全ての人々が頭の先から足の先まで描かれているジャン=ベローの作品と、
手前の人物の足元や、右端の人物の半身を思い切ってトリミングしているカイユボットの作品。
大胆なトリミングによって、鑑賞者の視点は手前の人物と同じ高さになり、さらに作品に近づくことになります。
それはまるで傘を差している男女のすぐ前を「歩いている」かのように思えるでしょう。


・空間の広がり
折り重なった有象無象の人の流れを描いたジャン=ベロー。
一方カイユボットの人物はそれぞれが適度な距離を保ち点在しています。
このことは視線を奥の方まで連れて行くことになり、より広がりを感じさせます。

そして人々が行き交う往来で、人影が重なっていない、というのはありえなくはないけど実際にはなかなか難しい状況です。
鑑賞者は、ちょっとした異空間を感じるのかもしれません。

また広がり感を演出するものの一つとして、「空」があげられるでしょう。
そして空があることの副産物として、建物の形が強調され、この作品のおもしろさに一役買っています。


・大胆な遠近法
ジャン=ベローの作品では視線が馬車の背中で止まってしまいその先には行きにくいですが、
カイユボットの作品では、前方の建物の左右二つにある消失点、そして広場や重なりのない人影がより我々の視線をこの作品の中に引き込んでいきます。

二つの消失点の他にも、道路、建物の屋根、街灯、人などたくさんの直線をこの作品の中に見つけることが出来ます。
たくさんの直線の中で雨傘の半円が作品に入ることで、この絵画によいアクセントを加えています。
ご存じの通り、雨や雨傘を描いた絵画というのはさほど多くありません。
その中で雨傘をささせたカイユボットの着眼点もよいですね。




以前「雨の日の「パリの通り、雨」」でこの作品に雨脚を描き足してみましたが
雨が降っていると広がり感はかなり無くなってしまいます。

なぜカイユボットが雨脚を描かなかったのか、についてはいろいろ考えられると思いますが、
違うものを優先させたかった、というのが一番大きな理由だと私は考えております。


さて、みなさまのご意見はいかがでしょうか。
この作品は掘り下げればこの一枚だけで様々な主題の論文が書けそうで、とても興味深く思います。


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