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父マルシャルの二番目と三番目の妻の関係

カイユボットの父親マルシャルは生涯で三回結婚をしています。




↑ 父マルシャルと三番目の妻セルストのパステル画



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一回目の相手はアデル・ゾエ・ボワシエール(Adèle Zoé Boissière)夫人。

1829年に結婚し二人の子をもうけるが、1836年に亡くなる。

子供のうちの一人が、ギュスターヴ・カイユボットの異母兄であるアルフレッド。



二回目の相手はウージェニー・セラフィーヌ・ルマスケリエ(Eugénie Séraphine Lemasquerier)夫人。

1843年に結婚するが、男児を出産後1週間ほどして1844年に亡くなる。



三回目の相手がセルスト・ドーフレヌ夫人。

1847年に結婚。セルスト27歳、夫となるマルシャルはこの時49歳。

彼女がギュスターヴ、ルネ、弟マルシャル兄弟の生みの親。

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この二番目の妻ウージェニーと三番目の妻セルストは叔母、姪の関係なんだとか。

ウージェニーと、セルストの母マリー・セルスト・ルマスケリエが姉妹なんだそうです。



父マルシャルの二番目の奥さんウージェニーが結婚後一年で亡くなり、

ウージェニーの実家であるルマスケリエ家が、一族の中からセルストを後妻として嫁つがせたというような事情があったのですね。



先日「アンリ=コルディエとカイユボットは親戚関係」で「父親マルシャルの前の奥さんつながりなので『血縁』というわけではない」と書いてしまいましたが、それは間違いで

カイユボットとアンリは血のつながりが一応あるわけですよ!

(カイユボットの母方の祖母の父親(曾祖父)のフィリップ・ジョセフとアンリ・コルディエの曾祖母テレーズが兄弟)





この時代の結婚事情はよくわかりませんが、

こうなってくるともしかすると一番目の妻のアデルさんも何らかの血縁関係だった可能性も否めませんね。









あー、今までモヤモヤしていたことがすっきりした!

家系図がまだ修正しておらず申し訳ありません。



実はこのサイトに掲載している「La Dynastie Caillebotte」をよく読んでみたら、しっかり書いてありました^^;;

全編フランス語ですが、ご興味のある方がいたら是非読んでみてください!

カイユボット・ファミリーについてより詳しく知りたい方(フランス語)»

アンリ=コルディエとカイユボットは親戚関係

カイユボットが1883年に描いた「アンリ=コルディエの肖像」。






ブリヂストン美術館で開催されたカイユボット展にも展示されていたので、

覚えている方もいらっしゃるかと思います。



展覧会のカタログには

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コルディエはカイユボットと生年が1年違う同世代。

アメリカ、ニューオリンズでフランス実業家の家庭に生まれ、フランスとイギリスで学んだ後、

1869年より上海のアメリカ系商社に勤務。

そこで中国について学び、英国王室アジア学会北中国支部図書館員となった。(中略)

カイユボットとコルディエの関係の詳細は明らかではない。

カイユボットは生活の糧を得るために肖像画の委託を受けることがなかったとすると、

本作は友情の証なのだろう。


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と書いてあります。





アンリ・コルディエさん、今まではカイユボットの友人の一人だと考えられていたのですが

ところがどうもカイユボットと親戚関係にあったようなのです!





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実はこの話、知人からメールで教えてもらったのです。

まったくもって私の手柄ではないのですけど、その内容をここに記します。



また、私自身は実際この本を読んだり調べたりしたわけではないのですが、

いつか機会があったらこの目でみてみたいです!



いただいたメールの内容抜粋です。

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コルディエが1925/3/16に亡くなった後、同じ東洋学者であったポール・ペリオがコルディエに敬意を表して「Henri Cordier (1849 – 1825)」という彼の人生についての本を書きました。

それを読んでみると、このような記述があったのです。




« Son père chargé de fonder à Changhai une agence du Comptoir d’Escompte, était parti en 1859 pour la Chine, où il fut bientôt rejoint par sa femme et son plus jeune fils. Les deux ainés sortaient chez leurs parents Caillebotte, c’est à cette parenté qu’est dû le portrait d’Henri Cordier par Caillebotte… ».

« アンリの父親がコントワール・デスコント銀行の上海支店設立の担当となり、1859年に中国にやってきた。そしてそこに妻と息子も加わる。アンリの祖父母はカイユボットの親戚筋であり、そのためカイユボットがアンリ・コルディエの肖像を描いたのだ。»



市のアーカイブにアクセスしたらすぐにわかりました。

アンリの祖父ジェロームはルマスケリエ家(カイユボットの父マルシャルの2番目妻の家)の結婚や出産に何度も証人として出席しているようです。

さらにアンリの父であるウジェーヌ・エルネストが生まれたとき、父マルシャルの2番目妻の父親のフィリップ・ジョセフ・ルマスケリエが出生証明書の証人の一人として署名していたのです。


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家系図もつくっていただいちゃったんだけど、わかるかな・・・?

yyyeyoyycyaye-2014-11-26-00322.png


ギュスターヴ・カイユボットの父親マルシャルの二番目の妻のセラフィーヌの父親フィリップ・ジョセフと

アンリ・コルディエの曾祖母テレーズが兄弟だ、ということです。

ちなみにギュスターヴはマルシャルの三番目の妻との間の子です。



かなり遠い親戚(はとこの子供同士くらいの遠さ)であり、

父親マルシャルの前の奥さんつながりなので『血縁』というわけではないのですが、

(※二番目の妻と三番目の妻は血縁関係の可能性が…そうなると『血縁』になりますね。2014/12/17追記)

(※二番目と三番目の妻は叔母、姪の関係でした。二人は遠いながらも血縁関係です。詳しくはこちらを » 2014/12/20追記)

随分濃い親戚付き合いをしていたようですし

カイユボットはコルディエを親戚だとわかった上で描いたのでしょう。



アンリ・コルディエの「学者」という社会的側面を描きつつ、

書き物の姿勢や開きっぱなしの棚などからうかがえる格好付けていない様子から

彼のプライベートな空間を描こうとしたカイユボットらしさが出ています。



家族や親戚のポートレイトを数多く描いたカイユボットですが

アンリ・コルディエが親戚だとわかった今

この作品はさらにそうした傾向を特徴づける作品だと言えるでしょう。





もしかしたら明らかになっていないだけでまだ他にもそうした肖像画があるのかもしれないですね*^o^*



カイユボット三兄弟の写真

カイユボット三兄弟の写真を入手しました。



おぉ。これは貴重ですよ。

カイユボット自身やマルシャルの写真はパリや東京の展覧会でご覧になった方もあるかもしれません。

しかしマルシャルによって撮られた写真は1891年以降のものなので、

若くして亡くなってしまった真ん中の弟ルネ(1878年11月享年26歳)は当然写っていません。






誰が誰なのか、いつ撮られた写真なのかははっきりしませんが、私が思うに

  一番右はギュスターブ(顔の丸さと髪型が1863年に撮影された写真とよく似ている)

  真ん中がマルシャル(顔がギュスターブより面長で、面影あり)

  一番左がルネ

次期は1863年(ギュスターブが15歳頃)かそれ以前ではないかと。

(1863年に撮影された写真と服装が同じ。でもちょっと幼い感じがないわけでもない)



完全に憶測ですけど、一番下のマルシャルがリセのルイ・ル・グランに入学をして

その記念に三人で撮ったものなのかも?!



もう一枚あります。




こ、これはすごいイケメン兄弟や・・・!!

先ほどの法則で言うと左からギュスターヴ、マルシャル、ルネになります。





この写真は「Gustave Caillebotte ou les aventures du regard(ギュスターブ・カイユボット 視覚の冒険)」(アラン・ジョベール、1994)という映画の中で流れているそうです。

そしてこの映画は現在イエールで開催中のカイユボット展で見られるらしいんです!!




La Propriété Caillebotte à Yerres(別荘のHP。仏語)

FaceBookもあります。こちらもフランス語ですが写真を見ているだけでも楽しいですよ。



現地に行かれる予定の方は映画で写真を見てみてくださいな。

そして今のところ予定の無い方も7月までまだ余裕がありますので是非ご検討ください(・ω・)ノ



拙サイトでの案内です。↓

フランス・イエールでの展覧会のお知らせ(2014年4月5日-7月20日)>>





行ってきたシリーズのイエール編、まだ書いてないんだよなぁ。。。あばばヾ(*д*ヾ三ノ*д*)ノ

カイユボット・ファミリーについてより詳しく知りたい方(フランス語)

フランスの方が、拙サイトのためにカイユボットに関するPDFを送って下さいました。

特にカイユボット家の歴史、異母兄アルフレッド、弟マルシャル、甥ジャン、姪ジュヌヴィエーヴ、切手収集に関して詳しいので、(これまで公になっていないこともあるそうです!)
ご興味がある方は是非ご一読下さい。

La Dynastie Caillebotte
de Domfront à Paris
d’Antoine Marie Pierre, grand-père de Gustave, à Jean et Geneviève, ses neveu et nièce

(PDF)

残念ながらフランス語版のみです。

私もカイユボット自身には興味はあるけど、家族の歴史はそこまででもないので、
ざーっと翻訳サイトにかけてしか読んでいないのですが((‐ω‐。*)
もしご要望があるようでしたら特定のセクションだけでも翻訳します。
どうぞコメント下さい。



パリ市のアーカイブにアクセスして色々お調べになったそうで、頭が下がります。

img_20130930_093546.jpg
国立高等鉱業学校の卒業碑。
1911年のところにJ. CAILLEBOTTEの記載。

photo_entenue.jpg
第一次世界大戦時に飛行隊に入隊していた甥のジャン


私は日本語しか書けませんが、フランスからの訪問もいつでもBienvenuです!
TOPページなどの右上からもPDFにアクセスできますので、
フランス語圏の方にぱっと見て分かってもらえる!・・・といいのですが。

カイユボットの従妹の孫

フランスの方から「カイユボットのこと、ニュースになってたけど知ってる?」と情報をいただきました。
ななな何と心の優しい方なんでしょう!Merci, Bien!

その方の情報と、情報に書いてあった「ouest-france(西仏新聞)」の情報などを元に話を総合(と想像)すると

Caillebotte et Bayeux : une histoire de famille – Bayeux
(カイユボットとバイユー:バイユーの家族の歴史)



写真右側の女性Dominique Bussillet(ドメニク・ビジエ)が2010年3月に本を出したそうです。
タイトルは[Maupassant et l’univers de Caillebotte(モーパッサンとカイユボットの世界)]。
その関係で、カイユボットの子孫と対面したというニュースなんだと思います。

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左の男性がそのカイユボットの子孫、 François Chaplain(フランソワ・シャプラン)氏。
カイユボットの従妹のゾエのお孫さんでフランス北西部のバイユーに住んでいるそうです。

カイユボットはゾエがバイユーの男性と結婚をした時に、自身の作品を三枚プレゼントしたのだそうです。

一枚目は「田舎の肖像」、現在バイユーの美術館が所有しています。


二枚目はフランソワさんの兄弟が所有していたそうですが1997年に売却。

もう一枚がこのフランソワさんが所有している「アルジャントゥイユの風景」、写真の背景に映っている作品です。


「田舎の肖像」に描かれている4人の女性は、ゾエの娘のスザンヌが「田舎の肖像」のポストカードに残したメモによって判明しています。

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うーん、カイユボットの子孫か!

カイユボットとモーパッサンはボート仲間でした。
ドメニクさんの本には二人の交友とか二人の作品の共通点なんかが書かれているのでしょうか??

売却されたのはどの作品なんでしょうか。
願わくばゾエちゃんが描かれた作品だったらいいなと思いますけど!

この犬どこの犬?

カイユボットの代表作のひとつ、「ヨーロッパ橋」(1876)。
そこには茶色と白色の犬が一匹描かれています。



実はこの犬、他の作品にも登場しているのです。


傘下の画家(c.1878年)


オレンジの木(1878年)

この2つの作品はカイユボット家の別荘のあったイエールでのひとこまです。

いくらお金持ちといえどこの時代の人が犬を連れて別荘地に行くのは大変そうですから、
この犬はイエールでずっと飼われていて、そこでカイユボットはヨーロッパ橋のための「犬のデッサン」をいくつか描いてパリに持ち帰ったのかもしれませんね!


1878年のわんちゃんの方が、若干デブっているのがかわいい(*^^*)

父親の結婚の謎、解けました

ギュスターヴの父マルシャルは三回結婚をしていて、ギュスターヴはその三番目の妻セルストとの間に出来た子供でした。

この三回の結婚についてずっと謎に思っていた(カイユボットの父と謎の結婚参照)んだけど、本日その謎が解けました!

まず、こちらのボワシエール夫人は最初の妻のアデル=ゾエ=ボワシエール夫人ではなく、そのお母様。
妻のアデルさんとは1829年に結婚し、その何年後かに亡くなってしまいます。
またアルフレッドの他にレオニーという娘がいたそうですがレオニーも6歳で亡くなってしまいます。

編み物をするマダム・ボワシエール

次に結婚したのがステファニー=レマスケリエ。1843年のことです。
彼女は出産の一年後にこれまた亡くなってしまいました。
子供のことは不明です。

弟のルネも早死にだったし、この時代はこんなにしょっちゅう人が亡くなっていたのかしら?

家系図も書き直しましたのでこちらをご参照下さい。
はぁ〜、とにかくスッキリした♪

ごめんねシャルルおじさん(・ω・。)

ギュスターヴの父マルシャルには「Charles」という14歳年の離れた弟がいました。
「チャールズおじさん」なんだって思ってたんだけど・・・・

よく考えたら、フランス語読みだから「シャルル」なんじゃないかい・・・?

各ページ修正いたしました。

ごめんねシャルルおじさん(・ω・。)

ん。君もシャルロットか!

以前カイユボットの恋人シャルロット=ベルティエ(アン=マリー=ハガン)についてお届けしました。
リンクはこちら
本名があるにもかかわらず、なぜシャルロットと呼ばれていたのかと思っていたのですが

ここにひとつ鍵となりそうな、わんちゃん達を発見。




左の犬はそのシャルロットが飼っていた犬なのですが
作品の右上に「CHARLOTTE」と刻まれています。
(クリックで大きくなります。)

右の作品は弟マルシャルの犬を描いたものなのですが、
右上にその犬の名前である「PAUL」と刻まれているのです。

描かれた時期も近いし、
もしかすると、本当にもしかすると、
左の犬の名前が元々シャルロットだったんじゃないの?

なんとなく、恋人同士が甘い名前を呼び合ううちに
私のかわいいシャルロット、になってそのまま通称に・・・とか。

なんて考えすぎ?あくまでもひょっとしたらですけど!

カイユボットの恋人/FRIEND OF CAILLEBOTTE

a000070d.jpg生涯結婚をしなかったカイユボットでしたが、晩年は恋人ともいえる女性がいたようです。

彼女の名はシャルロット=ベルティエ。
ルノワールが彼女の肖像画を描いています。
おそらく中流家庭の出身だということですが、若い女の人で、カイユボットが亡くなった時、シャルロットはまだ31歳でした。
カイユボットとの年の差。。。14歳・・・がぼーん。


しかし、彼女については謎が多いんです。


まず、シャルロット=ベルティエという名前が本名ではない・・・。
本名はアン=マリー=ハガン。
本名じゃないってなんなのさ。。。
何故カイユボットはシャルロットと呼んでいたのかしら?

いつ頃どうやってカイユボットと出会ったのかも定かではありません。
1883年にはその遺言で彼女に120,000フランを残しているので、それ以前に出会ったといえるでしょう。
プティ=ジャンヌヴィリエに引っ越したのが1882年なので、そこで出会ったのかもしれませんね。

また1889年にプティ=ジャンヌヴィリエのシャルロットに家を残す遺言を残しており、
実際にこれらの遺言は執行されたそうです。
1891年の記録に彼女の名前は記載されており、カイユボット自身も彼女とプティ=ジャンヌヴィリエの庭を一緒に描いた絵を残しています。

シャルロットに関してわかっていることはこれだけです。


カイユボットは何故彼女と結婚しなかったのでしょうか?

結婚という形式が好きではなかったのか、
自分の命がそれほど長くないことがわかっていてしなかったのか、

うーん、まさかシャルロットの素性があやしかったからという訳じゃないですよね・・・?

カイユボットが描いたシャルロット


|ピエール=オーギュスト=ルノワール(Auguste Renoir)|マドモアゼル シャルロット=ベルティエ (Mlle Charlotte Berthier)|1883|ワシントンナショナルギャラリー(National Gallery of Art, Washington, DC)|



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