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ブリヂストン美術館がカイユボットの《イエールの平原》を新所蔵&展示
2015-02-21ランダム表示
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1978年10月22日に、母親のセレステが亡くなったこともあり
ギュスターヴと弟のマルシャルはミロメニルの家を離れ、
翌年からオスマン大通りの31番地に2人で暮らし始めました。
この家はオスマン大通りとグリュック通りの角地にあり、上から二番目の階だったため非常に見晴らしのいい住居でした。
この写真の手前がグリュック通りで、向こう側がオスマン大通りになります。
より大きな地図で カイユボット関連地図 を表示
カイユボット(ギュスターヴ)はそこからの眺めをたいそう気に入ったようで
そこから見える通りの様子や上から見た眺めを数多く残しています。
2人の家には多くの友人が訪れ、カイユボットは友人たちの様子なども描きました。
[上から見た眺め / view from upper]
[バルコニー / balcony]
ここにカイユボット達が立っていろいろながめたのかなぁ・・・ (*´∀`*)
1881年または1882年にパリの郊外に引っ越しをするまでこの家で過ごしています。
この建物の下は1990年よりソシエテ・ジェネラル証券によって使われています。
中はこんなみたいですよ( ゚Д゚)
もちろん改装をしたとは思いますが、パリの中心地にあってこの内容。。。
きっとこのカイユボットのアパルトマンも随分お高いお値段だったのでしょうね。
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