カイユボット.net
ブログ

最新の記事

ランダム表示

Category Category Category Category Category Category

ブリヂストン美術館がカイユボットの《イエールの平原》を新所蔵&展示

カイユボットの「ピアノを弾く若い男」を所蔵しているブリヂストン美術館さんが、
「イエールの平原(イエール、牧草地)」を新たに所蔵したらしいですよ!!

ブリヂストン美術館のお知らせ»


おぉ!素晴らしいですね!!!!!
先だって所蔵した「ピアノを弾く若い男」は都会生活のひとこま
この「イエールの平原(イエール、牧草地)」はパリから離れた田舎の風景
どちらもカイユボットの作品を語る上では欠かせません。



「ピアノを弾く若い男」はとっても素敵だけど、
「パリの通り、雨」「ヨーロッパ橋」など、このスタイルだけがカイユボットではないと知ってほしいなぁと思っていたので「イエールの平原」をブリヂストン美術館が所蔵したことは、日本におけるカイユボット研究の更なる一歩となることと信じています!


この作品は2013年に開催された「カイユボット展」にも展示されていた作品なのですが
《イエールの平原》は、この展覧会において日本ではじめて紹介されました。
縁あってこのたび、ブリヂストン美術館のコレクションとなりました。

なのだそうです。
カイユボットが多くの絵を描いたイエールの作品を日本が所蔵したことで
フランス・イエールと日本の結びつきも深くなればイイナと思います。


カイユボット展に行けなかったという方は
現在開催中の「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展で「ピアノを弾く若い男」と共に鑑賞することができます。


残念ながらブリヂストン美術館は2015年5月18日より改装工事のため数年間の休館に入ります。
5/17(日)までに是非お出かけください!
もし日本を巡回するようなことがあればまた拙サイトでもお知らせさせていただきます。

「パリの通り、雨」の細部に迫る

「パリの通り、雨」を16分割してみました。

これ前からずっとやってみたかったんだ(^o^)♪




1.左手のアパルトマンの窓の上に三角の飾り屋根?がついています。右のアパルトマンの屋根の上の煙突も規則的にキチンと描かれているんですねぇ。


2.画面の奥(ここでいうと画像の下)の空はクリーム色に変化しています。窓にカーテンが掛かっていることもわかります。街灯はちょうど画面中央に配置されているようです。


3.傘の先は木か何かと金属でできていたのでしょうか。金属の部分は光が当たって反射しています。傘も光を浴びている部分は白っぽく。


4.こうして拡大してみると3本のラインのリズムが面白いですね。雨どいと壁の一部のラインなのかな?


5.こちらの傘には少ししわが張っているよう。傘を差していない男性(中央人物と御者)は肩を丸め気味。沢山の人物が往来しています。


6.建物には「PHARMACIE(薬局)」の文字が。建物の奥の方は工事中?やぐらのようなものが立っています。


7.メイン男性のシルクハットには絹の光沢。頬に赤みも差しています。少し垂れ目気味ですね^^
 画面左の女性二人のうち、こちらから見て右の女性はほとんどモノトーンで影のようなのに対し、左の女性は赤いスカーフか何かを首に巻いています。
 脚立を持ったハウスペインターがいます。雨になり作業中断しているのでしょうか?「ハウスペインター」とのつながりも感じます。

ハウスペインター」1877年


8.女性の顔のベールの細かい模様までわかります。少し耳が赤いようですが気温が低いのかしら??背を向けた男性は傘を傾ける気遣い。
 傘の輪郭が作る形が面白いです。


9.石畳を歩く男性の足下。細身ですね。傘を持つ指が丁寧に描かれています。


10.こちらはポケットに手を入れ少し足早に歩く男性の足下。


11.メイン男性の洋服。少しブルー味がかったベストとジャケットにシャツのボタンは金色?腕を組んだ女性はブラックシースルーの手袋をしているようです。


12.女性の上着もおしゃれ。身ごろと袖の生地は別生地みたい。中に着ているドレスはブルー&襟元が白?


13.石畳の習作を思い起こします。緑色は石畳が少し苔むしている?

パリの通り、雨のための習作、敷石」1877年


14.石が他よりくぼんでいる部分。


15.メイン男性の下半身。ジャケットは後ろが燕尾型になっているのかもしれません。


16.メイン女性のスカート。ここにも細かいドレープがかかっています。

5/6/9/10、6/7/8/10/11/12/14/15/16でもまたひとつの絵になりそうですね。

このすごく大きい画像(5,982 × 4,531 pixels, file size: 5.12 MB, MIME type: image/jpeg)はこちらで見ることができます!
http://en.wikipedia.org/wiki/Gustave_Caillebotte#mediaviewer/File:Gustave_Caillebotte_-_Paris_Street;_Rainy_Day_-_Google_Art_Project.jpg

父マルシャルの二番目と三番目の妻の関係

カイユボットの父親マルシャルは生涯で三回結婚をしています。




↑ 父マルシャルと三番目の妻セルストのパステル画



===============

一回目の相手はアデル・ゾエ・ボワシエール(Adèle Zoé Boissière)夫人。

1829年に結婚し二人の子をもうけるが、1836年に亡くなる。

子供のうちの一人が、ギュスターヴ・カイユボットの異母兄であるアルフレッド。



二回目の相手はウージェニー・セラフィーヌ・ルマスケリエ(Eugénie Séraphine Lemasquerier)夫人。

1843年に結婚するが、男児を出産後1週間ほどして1844年に亡くなる。



三回目の相手がセルスト・ドーフレヌ夫人。

1847年に結婚。セルスト27歳、夫となるマルシャルはこの時49歳。

彼女がギュスターヴ、ルネ、弟マルシャル兄弟の生みの親。

===============



この二番目の妻ウージェニーと三番目の妻セルストは叔母、姪の関係なんだとか。

ウージェニーと、セルストの母マリー・セルスト・ルマスケリエが姉妹なんだそうです。



父マルシャルの二番目の奥さんウージェニーが結婚後一年で亡くなり、

ウージェニーの実家であるルマスケリエ家が、一族の中からセルストを後妻として嫁つがせたというような事情があったのですね。



先日「アンリ=コルディエとカイユボットは親戚関係」で「父親マルシャルの前の奥さんつながりなので『血縁』というわけではない」と書いてしまいましたが、それは間違いで

カイユボットとアンリは血のつながりが一応あるわけですよ!

(カイユボットの母方の祖母の父親(曾祖父)のフィリップ・ジョセフとアンリ・コルディエの曾祖母テレーズが兄弟)





この時代の結婚事情はよくわかりませんが、

こうなってくるともしかすると一番目の妻のアデルさんも何らかの血縁関係だった可能性も否めませんね。









あー、今までモヤモヤしていたことがすっきりした!

家系図がまだ修正しておらず申し訳ありません。



実はこのサイトに掲載している「La Dynastie Caillebotte」をよく読んでみたら、しっかり書いてありました^^;;

全編フランス語ですが、ご興味のある方がいたら是非読んでみてください!

カイユボット・ファミリーについてより詳しく知りたい方(フランス語)»

SIGHT ARTでカイユボット対談

音楽に詳しくない私でもその名を聞いたことがある「ロッキング・オン・ジャパン」さんが美術雑誌を刊行するとの情報をGET。
その特集の一つがなんとカイユボットだというではないですか。

=========
カイユボットを中心にオルセー美術館を観る
語り手=新畑泰秀(ブリヂストン美術館学芸課長)
=========

/////////////どんな内容?/////////////

カイユボットの印象派やその時代における立ち位置や、こうであったかもしれない彼の考え方や、人となりがかなり掘り下げられて対談形式で語られています。

・カイユボットを単なる「お金持ちで印象派展開催に尽力した画家」像で述べるのではなく、もっと泥臭く迫っているところ
・“蒐集家”でも“パトロン”でも“経済的に援助した”でもなく“スポンサー”という現代の我々にとってもっともわかりやすい単語で説明をしているところ

など
印象派の作品を買ってオルセーに遺贈したことも知っている、カイユボットの作品も知っている、時々印象派に関する本でカイユボットに関する逸話も読んだことある、でもカイユボットがどういう人物なのかイマイチぴんとこない」という方にはすごくしっくりくる内容なのでは。

この対談を読んでいて、
「片方がカイユボット展を開催したブリヂストン美術館の新畑さんというのはわかるんだけど、もう一人のこのインタビュアー、美術雑誌のインタビュアーにしては変わっているなぁ・・・。なんかこう前へ前へぐいぐい来るなぁ?」と思って「聞き手」をみてみたら、
なんと渋谷陽一って書いてあるじゃないですか。

はい、ロッキング・オン・ジャパンの社長さん。

ちなみに北斎の聞き手も北野武さんの聞き手も渋谷氏です(笑)


//////カイユボットは印象派の絵を見て「こりゃすげえ!これは俺の絵と全然違う」と思ったのか?

対談は色々興味深かったのですが、全部書いていると長くなってしまうので一点だけ!

渋谷氏は雑誌の中で「(カイユボットがどちらかというとアカデミズムな絵を描いていたので)「それが印象派を見たばっかりに「こりゃすげえ!これは俺の絵と全然違うし、どう考えてもこっちの方がカッコいい」ってなって。」と語っています。(聞き手だけど)

ここは私は少し異なる見解をもっています。
といっても想像の域をでないですけど。

カイユボットの年表をおさらいすると
———————-
1872年(24歳) レオン・ボナの画塾に頻繁に通うようになる。
        通い始めたのはその前年とも前々年とも言われ、はっきりしません。
1873年(25歳) エコール・デ・ボザール(官立美術学校)に入学
1874年(26歳) 第一回印象派展を見に行ったかもしれない
1875年(27歳) サロン(官展)に「床の鉋掛け」を応募し、落選
1876年(28歳) 第二回印象派展に参加

———————-

サロン派のボナに習い、官立美術学校に通った(あまり通ってなかったみたいだけど)カイユボットは
印象派展に参加する前はカチッとした作品も描いていたけれども



必ずしもそればかりではなかったのではないでしょうか?
決してはじめからアカデミズムな画風ばかりを目指していたのではないのでは?


渋谷氏は印象派に出会う前のカイユボットの作品には“印象派的要素が無かった”と考えているようですが
私は持っていたと思うのです。
そしてそれまで耳にはしたことがあったであろう印象派作品を目の当たりにしたときに
「これはアカデミックとは別方向で、自分が描きたかったものを具象化した作品じゃないのか??」
と惹かれたのではないかしら?

・・・しかしカイユボットが印象派展に出品しだす前の作品はいずれも制作年がはっきりしていないので
説得力が全然ないのですが^^;


他に渋谷氏は
「(カイユボットが)印象派という動きにある意味、後付けで参入したっていうことが僕はすごく大きかった気がするんですよ。」「印象派が何かをこの人はわかっていた。」
と語っています。(聞き手だけどw)

ここは多いに賛同しますし、カイユボットを考える上で重要な考えだと思います。
カイユボットは持ち前の数学的思考で印象派の印象派たるものは何なのかというのがわかっていたのでしょうね。
こういう後付けで参入した=君たちの作品、理論、そして運動を支持する、それは間違いなく素晴らしいものだという意思表示であるわけですから印象派と呼ばれる人々は多いに励まされたと思います。



カイユボットが印象派的要素を元々持っていたにしても、持っていなかったにしても、カイユボットの作品は印象派展に出し続ける間は「どちらかと言えばアカデミズム」な作風を保っています。
これは「カイユボットが見つけた印象派に置ける立ち位置」だったのでしょうか?

そしてパリを離れ、画家ではなく造船技師や議員として過ごしていた頃は
「どちらかと言えば印象派」な画風の作品を多く描くようになっていました。
これもまたおもしろいですね。




////////////

その渋谷氏のブログ「渋谷陽一の「社長はつらいよ」」にもこのSIGHT ARTのことがでていました。
カイユボットを軸に、前衛的な芸術運動としての印象派を読み解く(2014.10.14)

わお、メインの北斎じゃなくてカイユボットを中心に推していらっしゃいます♪

はは、結局渋谷氏のお話ばかりになってしまいました。

2014-12-17 Comment

「印象派の名画はなぜこんなに面白いのか」で紹介いただきました

実は「印象派の名画はなぜこんなに面白いのか(中経の文庫)」の中で
拙サイトをちらっと紹介していただいております。

ずぅっと以前に掲載されていることを教えていただいて早速購入。
たたた、確かに書いてあるではありませんか!!!

で、「きゃっ!恐縮////!!」と思ったまま封印していたのですが
2年近くも経つとさすがに平常心になれたので(笑)、ここに投稿、そして本のご紹介をさせていただきます!


「印象派の名画はなぜこんなに面白いのか」著者:井出 洋一郎 2012/6/27
中経出版ページ アマゾンページ


ギャラリートーク形式で大変読みやすく、かつ読み応えもあります。
そしてカラーなのにお求めやすいお値段!
カイユボットのセクションがあるということも私的には高ポイント!

本の中で紹介されるカイユボットの作品は2つ。
「ヨーロッパ橋」鉄道好きにはたまらないサン・ラザール駅を望む橋


「雪を被った屋根」パリの雪景色を早世の画家がフレッシュに描く


そしてちらっとご紹介いただいている部分は、、、

yyyeyoyycyaye-2014-12-07-74518.png ←←ぎゃ!やっぱり2年経っても恐縮//////!!!

という訳で、小さく載せさせていただきました。
気になる方は皆様どうぞお手に取ってお確かめください。(P146です)

え?別にこのサイトの紹介なんかどうでもいいって?

ま、そうおっしゃらずに是非ぜひ買ってみて〜(´͈ ૢᐜ `͈ૢ)

イーゼル部分の塗り残しのある 「セーヌ川の支流、秋の気配」

以前行った青森県美術館の「光を描く印象派展−美術館が解いた謎−」
その考察がとーーーっても面白くて訳してここに載せていたんだけど、
ずっと途中で頓挫していたのよね…

3年以上も経ってしまったけど再びここに!!
って威張ることじゃない…お恥ずかしいことで^^;



c.1890年頃 キャンバスに油彩 65.0×54.5cm
作品概要はこちら

この作品の下端には絵の具の塗り残しがあって
その形からこれが戸外で描かれた作品だということがわかる、というのです。
yyyeyoyycyaye-2014-12-01-181422.png
※これだけではなく他にもこのような塗り残しがある作品はあります。

さらに興味深かったのは「サイン」について。
カイユボット自身が作品にサインをすることは稀で、今作品につけらてているサインのほとんどはマルシャルやルノワールによるものだ、という話は知っていたのですがそれがなぜそう言い切れるのか、というのがよくわかっていませんでした。
作品の絵の具がかなり乾いた後でサインがほどこされた』ところから推測されるようなのです。
あぁ、なるほどね。

この作品の左下に描かれたサインが塗りつぶされ、右下に描かれなおされた理由が
「美的センスの問題か?」というのも面白い♪
確かに左下はごちゃごちゃしていますものね!

——————————–
【図録解説】
カイユボットは1880年代の初めに、パリからプティ・ジェンヌヴィリエに生活の中心を移した。パリ時代の作品では、主に近代化の進む都市生活を描いていたが、このパリ近郊のセーヌ川沿いの地に移ってからは、庭や田園、木々の茂る川岸など、自然の残る郊外の風景を生き生きとしたタッチと鮮やかな色彩でとらえた作品を多く残している。
《セーヌ川の支流、秋の気配》では、秋の川辺を描いた画面の中で、水面の青色が下辺の中央部分だけ塗り残され、地塗りが露出している。この細長い塗り残しについては、カイユボットが地塗りの色を画面の一部として取り入れ、構図の一部としたとは考えにくい。
調査を進めた結果、塗り残しの形状と画面における位置は、同時代の画材カタログに載っているイーゼルの留め具と一致し、イーゼルにカンヴァスを留めて、制作した痕であることが判明した[1]。このようなイーゼルは戸外製作用に開発され、折りたたみ式で持ち運びに便利なだけでなく、急斜面やでこぼこの地面でも設置することができた。カイユボットは穏やかな秋の日、川岸にイーゼルを立ててカンヴァスを設置し、実際の風景を前にしてこの美しい作品を描いたのである、

[1]1888年のブルジョワ・エネ社の商品カタログより、戸外用イーゼルのモデル。留め具の位置が、作品下部の絵の具が塗られていない部分と一致する。(図はこちら
「光を描く印象派展−美術館が解いた謎−」展覧会図録P86より
——————————–


以下は「公式の調査報告サイト」を翻訳したものです。
(間違いがありましたらどうぞご指摘くださいmm)
詳細図はここに載せていませんのでリンク先をご確認ください。

ちなみにここに書いてあるマランド島については、過去記事をご覧下さい!
発見!消えたl’?滝e Marande => Marante

——————————–
ベローの研究によると、青や緑、黄色を使ったこの秋の情景はマランド島からブゾン村の方向にみたセーヌ川の支流の風景である。 [Berhaut 1994, p. 225]
この作品の下端には絵の具で塗られていない箇所があり、形やサイズから戸外制作で一般的に使われていたイーゼルの留め具の部分と考えられる。それはカイユボットがこの作品を本当にその場で描いたに違いないということを示している(詳細図12)。
裏面からわかるように、このあらかじめホワイトで下塗りされたカンヴァスはよく使われるF15サイズのもので、カイユボットが利用していたパリの画材屋デュビュで購入されたものである。 [Lewerentz 2008 pp. 274-275](詳細図2)。
下塗りや下描きには構図のレイアウトが何もなかったので、おそらくカイユボットは1回か2回外に描きに行っただけでこの作品を完成させたのだろう。
まず、大胆なウェット・イン・ウェットを使った視線を誘導するようなブラシストロークで水面を塗る前に、作品の構成要素をそれぞれの部分の色の半透明のアンダーコートで下塗りした。
そうやって空や水を薄く広範囲に描き、すぐ側の葉っぱや水面の反射は厚く塗ったのだ。(詳細図7,8

この作品の興味深い特徴は二つサインがあり、両方とも“G. Caillebotte”と読めるという点だ。左下隅にある方は上塗りされてしまっており、赤外線をあてることによって判別ができる。(詳細図5,6
二つのサインは作品の完成後、絵の具の層が既に乾燥してしまっているばかりでなく所々亀裂の兆候が見られるようになるほどかなり時間が経ってから追加されたようだ
二つの手描きのサインはかなり似ているが、これらはカイユボット自身の手によるサインと同じものではない。
これら二つの件はカイユボットの作品によく見られることなので、彼の死後、弟マルシャルや遺言執行人のルノワールによって施されたものだと考えられている。
なぜ最初のサインを(おそらく)消し、二番目のサインを右下隅に追加したのかはわかっていない。
純粋に“見た目”の問題だったのかもしれない。

詳細図2:裏面にある画材屋デュビュのマークの再現とサイズ
詳細図3:斜光をあてた様子
詳細図4:紫外線写真
詳細図5:目で確認できる右下隅にあるサインの詳細。顕微鏡でみると手描きのサインはその下の絵の具層の初期の亀裂の中に入ってしまっていることがわかる。(1目盛=1mm)
詳細図6:(上)赤外線による上塗りされた左下サインの詳細 (中)入射光をあてた様子(下)紫外線写真
詳細図7:それぞれのモチーフの形に伸びているブラシストロークの詳細
詳細図8:斜光をあてた様子の詳細。短いブラシストロークで厚塗りに塗られている葉っぱ部分に対して、広範囲の空の部分は全て広塗りになっている。
詳細図9:顕微鏡写真でみるウェット・イン・ウェット(先に塗った絵の具が乾かないうちに次の絵の具をのせカンヴァス上で混色させる技法)とウェット・オン・ドライ(先に塗った絵の具を乾かしてから次の絵の具をのせる技法)(1目盛=1mm)
詳細図10:顕微鏡写真。黄色の葉っぱ部分に詳細不明の黄橙色の固まりが見られる。
  (※油彩絵の具ではない何かが付着しているということ?)
詳細図11:顕微鏡写真でみる絵の具の剥落。白の下地に小さな赤黒い着色が見られる。(1目盛=1mm)
詳細図12:作品下部の詳細。絵の具が塗られていない部分はおそらくイーゼルの留め具に固定されていたのだろう。(赤枠線部分)

According to Berhaut, this autumnal scene, with its blues, greens and yellows, shows the view of an arm of the Seine from the ?滝e Marande looking towards the village of Bezons [Berhaut 1994, p. 225]. That Caillebotte might really have painted this picture on site is indicated by an unpainted patch on the bottom edge, whose form and size suggest it is due to the fastening of a field easel typically used for open-air painting (fig. 12). The canvas, pre-primed in white, is the popular F 15 size and, as we see from a stencil verso, was obtained from Caillebotte’s Parisian art-supplies dealer Dubus [Lewerentz 2008 pp. 274-275] (fig. 2). Without any compositional lay-in in the form of an underpainting or underdrawing, the artist executed the work probably in one or two sessions. To start with, he filled the parts of the picture with semi-transparent undercoats of paint in the respective local colour, before covering the surface with directional brush-strokes applied largely wetin- wet. In so doing, he placed large-areas of paint in the region of the sky and the water, applied thinly, right next to impasto dabs in the foliage and the reflections (figs 7, 8). A curious feature of this painting is the presence of two signatures both reading “G. Caillebotte”, although the one in the bottom left-hand corner is now covered by a later overpainting and is only revealed by infrared reflectography (figs 5, 6). Both signatures were applied to the painting long after its completion, when the paint-layer was not only already dry but also showing signs of craquelure in places. The handwriting of the two signatures evinces considerable parallels, but no similarity with Caillebotte’s own. In both cases, as so often in the work of this artist, we seem to have signatures applied posthumously either by his brother Martial or his executor Auguste Renoir [Berhaut 1994, p. 60]. Why a (presumably) first signature was rejected and a second then added in the bottom right-hand corner is unclear. Purely aesthetic motives may have played a part.

Fig. 2:Verso with graphic reproduction of the Du- bus dealer’s mark with measurements
Fig. 3:Raking light
Fig. 4:UV fluorescence
Fig. 5:Details of the visible signature in the bottom right-hand corner, manual inscription is superimposed on early shrinkage cracks in the underlying paint-layer, microscopic photographs (M = 1 mm)
Fig. 6:Details of the overpainted signature bottom left in the IR reflectogram (top), in incident light (centre) and under UV (bottom)
Fig. 7:Detail, brushwork is oriented to the shape of the respective motif
Fig. 8:Detail under raking light, paint application varies from broad areas in the sky, using the whole brush-load, to short impasto dashes in the foliage
Fig. 9:Wet-in-wet and wet-on- dry paint applications, microscopic photograph (M = 1 mm)
Fig. 10:Yellow to orange unidentified lake in the area of the yellow foliage, microscopic photograph (M = 1 mm)
Fig. 11:Loss in the paint-layer, view of the white ground with small proportions of black
and red pigmentation, microscopic photographs (M = 1 mm)
Fig. 12:Detail, bottom edge of picture, unpainted patch presumably due to the canvas having been fastened to a field easel (red marking)

——————————–

過去の記事はこちらから。
全エントリがいちいち長くて、翻訳もへたくそなんですけど、
ほんと内容は面白いから是非ぜひ読んでくださーい★

「光を描く印象派展−美術館が解いた謎−」に行ってきました
当時の人が驚いた色彩感覚で描かれた 「コロンブの丘」
チューブ入り絵の具の登場によって描くことができた鮮やかな色彩 「ジェンヌヴィリエの平野、黄色い野原」
戸外から運んだ装置の跡がついている作品 「トゥルーヴィルの庭」

おそらくイエール時代にカイユボットの使った色

この春から夏にかけてフランス・イエールで開催されていた展覧会に

カイユボットが使用していた絵の具と混色の説明があったそうです。



はっきりどの時期の作品だとかもよくわからないですが

イエールの展覧会に出ていたということは割と若い時の色になるのかな?



たまには違う色を使うこともあるかもしれませんが、

これだけをみてみるとこの当時すでに発売されていた「緑」や「紫」の絵の具は使わずに

混色して描いていた様ですね。興味深い!

それに茶色の種類は豊富ですね。



イエール、広場の芝

↓こういう作品を研究したのかな?






ちなみに、カイユボットはデュビュというパリ、マルシュブ大通り60番地にあった画材屋を利用したことは判明しています。

この作品で使われた絵の具もデュビュで購入したのかしら?

Brief Report on Technology and Condition




地面の明るい部分 → 明るい黄土色


鮮やかな青葉 → プルシアンブルー オークル


薄い青葉 → ウルトラマリン オークル


影になった青葉 → 黄色またはシエナ色 黒青


木々に陽のあたった部分 → ナポリイエロー


木々の影になった部分 → プルシアンブラウン 黄色 青色


明るい木々 → 青色 鮮やかな黄色 時々白


空の素描 → 

プルシアンブルー 白 灰色になるようにウルトラマリンで加筆した黒青。

もし黒青を緑にみせる時は、バーミリオンか漆色で点描。

木が描かれていない場合はプルシアンブルー 


紫がかった灰色 → ホワイトウルトラマリン 茶黄土または黄色または深紅


木の素描や芝などのオレンジ色 → 黄色 シエナ色を伴ったルショフェルージュ


地面の前景 → シエナ色


葉っぱ、赤い色調、芝 → 薄シエナ色


地面の影 → ブラックアイボリー 焦シエナ色


木々の影 → ブラックアイボリー シエナ色

 緑がかった赤茶色 : 黄色 青色 紅漆

 紫がかった赤茶色 : 青色 赤  黄色少し

 オレンジ味をおびた赤茶色 : 赤 ? 黄色 青色少し


木々の奥の方 → コバルト 漆茜色 


赤色の影 → バーントシエナ


晴天、穏やかな海、遠くの空 → ウルトラマリン 


大地、木々、芝の素描

 → 明るい部分 : 黄土色 

 → 濃い部分 : クレイ


素描の描き直し(?) → シエナ色
※訳してもちょっと意味のわからないところもありました・・・カラーチップもご参考までに!



撮影禁止だったため、メモをわざわざ送ってくださいました、感謝感謝です!!





今後カイユボットの使用した絵の具について研究したい人が現れたとき

その足がかりになるかもしれないし、原文も書いておきますねヾ(*ゝω・*)ノ



Parties lumineuses des terrains → Ocre jaune clair

Verts vifs → bleu de Prusse et ocres

Verts clairs → Outremer et ocres

Vert dans l’ombre → Jaune ou terre de sienne et noirs bleus

Parties lumineuses des arbres → Jaune de Naples (indispensable)

Ombres du vert → Brun de Prusse , jaune , bleu

Lumi?res du vert → Bleu et jaune tr?s brillants avec un peu de blanc quelquefois

Ciel ?bauch? → Bleu de Prusse, blanc et noir bleu?tre de mani?re ? avoir teinte grise qui devient tr?s belle en retouchant avec outremer

Si le noir m?lang? au bleu devient vert ajouter pointe de vermillon ou laque

Ebranch? en ciel avec bleu de Prusse et blanc

Gris viol?tre → Outremer blanc et ocre rouge ou jaune ou laque cramoisie

Couleur orang?e → Pour ?baucher les arbres, le gazon, etc.. : se fait avec jaune et rouge r?chauff? avec terre de sienne

Premiers plans du terrain → Terre de sienne

Feuillages, tons roux, gazons → glacis de terre de sienne

Terrain dans les ombres → Noir d’ivoire – terre de sienne brul?e

Ombre des arbres → Noir d’ivoire et terre de sienne

 Brun rouge verd?tre : jaune ? bleu ? laque rouge

 Brun rouge viol?tre : bleu ? rouge et un peu de jaune

 Brun rouge orang? : rouge ? jaune et un peu de bleu

Fonds vert des arbres → Quelquefois on les retouche avec cobalt m?lang? de laque de garance et de blanc

Ombre du rouge → Terre de sienne calcin?e

Ciel limpide, eaux calmes, ciel lointain → Pr?parer avec outremer puis sans noir

Ebauche de terrain, arbres et gazon

 → Partie claire : ocre jaune et blanc

 → Partie de vigueur : ocre de ru

R?chauff? d’?bauche → Terre de sienne

アンリ=コルディエとカイユボットは親戚関係

カイユボットが1883年に描いた「アンリ=コルディエの肖像」。






ブリヂストン美術館で開催されたカイユボット展にも展示されていたので、

覚えている方もいらっしゃるかと思います。



展覧会のカタログには

———-

コルディエはカイユボットと生年が1年違う同世代。

アメリカ、ニューオリンズでフランス実業家の家庭に生まれ、フランスとイギリスで学んだ後、

1869年より上海のアメリカ系商社に勤務。

そこで中国について学び、英国王室アジア学会北中国支部図書館員となった。(中略)

カイユボットとコルディエの関係の詳細は明らかではない。

カイユボットは生活の糧を得るために肖像画の委託を受けることがなかったとすると、

本作は友情の証なのだろう。


———-

と書いてあります。





アンリ・コルディエさん、今まではカイユボットの友人の一人だと考えられていたのですが

ところがどうもカイユボットと親戚関係にあったようなのです!





////////////////////////////////////////////////////////////



実はこの話、知人からメールで教えてもらったのです。

まったくもって私の手柄ではないのですけど、その内容をここに記します。



また、私自身は実際この本を読んだり調べたりしたわけではないのですが、

いつか機会があったらこの目でみてみたいです!



いただいたメールの内容抜粋です。

——————————

コルディエが1925/3/16に亡くなった後、同じ東洋学者であったポール・ペリオがコルディエに敬意を表して「Henri Cordier (1849 – 1825)」という彼の人生についての本を書きました。

それを読んでみると、このような記述があったのです。




« Son père chargé de fonder à Changhai une agence du Comptoir d’Escompte, était parti en 1859 pour la Chine, où il fut bientôt rejoint par sa femme et son plus jeune fils. Les deux ainés sortaient chez leurs parents Caillebotte, c’est à cette parenté qu’est dû le portrait d’Henri Cordier par Caillebotte… ».

« アンリの父親がコントワール・デスコント銀行の上海支店設立の担当となり、1859年に中国にやってきた。そしてそこに妻と息子も加わる。アンリの祖父母はカイユボットの親戚筋であり、そのためカイユボットがアンリ・コルディエの肖像を描いたのだ。»



市のアーカイブにアクセスしたらすぐにわかりました。

アンリの祖父ジェロームはルマスケリエ家(カイユボットの父マルシャルの2番目妻の家)の結婚や出産に何度も証人として出席しているようです。

さらにアンリの父であるウジェーヌ・エルネストが生まれたとき、父マルシャルの2番目妻の父親のフィリップ・ジョセフ・ルマスケリエが出生証明書の証人の一人として署名していたのです。


——————————



家系図もつくっていただいちゃったんだけど、わかるかな・・・?

yyyeyoyycyaye-2014-11-26-00322.png


ギュスターヴ・カイユボットの父親マルシャルの二番目の妻のセラフィーヌの父親フィリップ・ジョセフと

アンリ・コルディエの曾祖母テレーズが兄弟だ、ということです。

ちなみにギュスターヴはマルシャルの三番目の妻との間の子です。



かなり遠い親戚(はとこの子供同士くらいの遠さ)であり、

父親マルシャルの前の奥さんつながりなので『血縁』というわけではないのですが、

(※二番目の妻と三番目の妻は血縁関係の可能性が…そうなると『血縁』になりますね。2014/12/17追記)

(※二番目と三番目の妻は叔母、姪の関係でした。二人は遠いながらも血縁関係です。詳しくはこちらを » 2014/12/20追記)

随分濃い親戚付き合いをしていたようですし

カイユボットはコルディエを親戚だとわかった上で描いたのでしょう。



アンリ・コルディエの「学者」という社会的側面を描きつつ、

書き物の姿勢や開きっぱなしの棚などからうかがえる格好付けていない様子から

彼のプライベートな空間を描こうとしたカイユボットらしさが出ています。



家族や親戚のポートレイトを数多く描いたカイユボットですが

アンリ・コルディエが親戚だとわかった今

この作品はさらにそうした傾向を特徴づける作品だと言えるでしょう。





もしかしたら明らかになっていないだけでまだ他にもそうした肖像画があるのかもしれないですね*^o^*



カイユボット三兄弟の写真

カイユボット三兄弟の写真を入手しました。



おぉ。これは貴重ですよ。

カイユボット自身やマルシャルの写真はパリや東京の展覧会でご覧になった方もあるかもしれません。

しかしマルシャルによって撮られた写真は1891年以降のものなので、

若くして亡くなってしまった真ん中の弟ルネ(1878年11月享年26歳)は当然写っていません。






誰が誰なのか、いつ撮られた写真なのかははっきりしませんが、私が思うに

  一番右はギュスターブ(顔の丸さと髪型が1863年に撮影された写真とよく似ている)

  真ん中がマルシャル(顔がギュスターブより面長で、面影あり)

  一番左がルネ

次期は1863年(ギュスターブが15歳頃)かそれ以前ではないかと。

(1863年に撮影された写真と服装が同じ。でもちょっと幼い感じがないわけでもない)



完全に憶測ですけど、一番下のマルシャルがリセのルイ・ル・グランに入学をして

その記念に三人で撮ったものなのかも?!



もう一枚あります。




こ、これはすごいイケメン兄弟や・・・!!

先ほどの法則で言うと左からギュスターヴ、マルシャル、ルネになります。





この写真は「Gustave Caillebotte ou les aventures du regard(ギュスターブ・カイユボット 視覚の冒険)」(アラン・ジョベール、1994)という映画の中で流れているそうです。

そしてこの映画は現在イエールで開催中のカイユボット展で見られるらしいんです!!




La Propriété Caillebotte à Yerres(別荘のHP。仏語)

FaceBookもあります。こちらもフランス語ですが写真を見ているだけでも楽しいですよ。



現地に行かれる予定の方は映画で写真を見てみてくださいな。

そして今のところ予定の無い方も7月までまだ余裕がありますので是非ご検討ください(・ω・)ノ



拙サイトでの案内です。↓

フランス・イエールでの展覧会のお知らせ(2014年4月5日-7月20日)>>





行ってきたシリーズのイエール編、まだ書いてないんだよなぁ。。。あばばヾ(*д*ヾ三ノ*д*)ノ

シカゴ美術研究所の修復がカイユボットの見方を変えるかもしれない

ウォール・ストリート・ジャーナルの4/15の記事に
カイユボットの『パリの通り、雨』についての面白い記事が出ていました。
Chicago Restoration May Alter View of Caillebotte >>
日本語訳はこの記事の下にのせています。

シカゴ美術研究所が調査、修復したところ、この作品の「真の色」が現れたとのこと!
この作品は、今我々が考えているよりももっと印象派、そしてカイユボット自身にとっても重要な作品なのかもしれない。

かいつまんで言うと
・前回の修復者が空を塗りつぶしてしまったが、実際の空の色はもっと複雑な色調をしていた。
・この場面は“雨が止み、太陽が雲間から光差す一瞬”なのかもしれない。
・だとしたら一瞬を捉えるという意味で、この絵は非常に印象主義的作品だ。
・この発見はこの絵の評価、そしてカイユボット自身の評価をも変えてしまう可能性がある。



↓修復前




↓修正後

※修正後の画像がちょっと画像が暗いのは、動画からキャプチャしたためかと思います。

傘と建物の付近の方が若干色が暗くなり、トーンの違いがはっきりしたのがおわかりでしょうか?
この違いが“雨が止み、太陽が雲間から光差す一瞬”を表現しているのかも?!

おぉ。なんだか心がときめきます!!
部分ではわかりにくいですが、是非リンク先の記事に載っている比較画像を見てみてください。
黄色っぽさが抜けて、より作品の奥行感が出てきた気もします。

特に“一瞬”という点ではクロード・モネの『印象・日の出』を思い出しますね。



今まで「『パリの通り、雨』はなぜ雨を描いていないのかしら?」と思っていたのですが
これがさーっと降った雨が止んだまさにその瞬間だった、と考えるとなんだか納得がいきます。
今だったらそのくらいの雨の場合、ヨーロッパの人は傘なんか差さなさそうですけど。

カイユボットがこの作品をすごく「広がり」のあるものとして描いたと感じていたのですが、
雨が上がった瞬間だと考えると、その「広がり」ともリンクしていそう。
これは斬新な作品だわい! >>
本当はどういうつもりだったのかカイユボットにしかわからないですけどね。
ゴッホみたいに自分の作品についてカイユボットが色々と述べているような手紙でも見つからないかなぁ!



画像だと修正前なのか後なのかわかりにくいのが難・・・。
実際はもっとブルーっぽさがあるのでしょうね。
この修復作業を終えてシカゴ美術研究所は『パリの通り、雨』の展示を開始したそうです。
これは実際にこの目で見てみるしかない?!

いつかシカゴにこの作品を見に行きたいなぁ!
できれば修復前の色合いも見ておきたかった!


cai_top.jpg

シカゴ美術研究所サイトの現在のTOPページもいい感じ!
こんなに大きな作品なんですねぇ。
カイユボットもこういう感じで細かい絵筆を持って作品を描いたのかもしれないですね。


修正に関する細かいところは動画とウォール・ストリート・ジャーナルの記事をご覧下さい。
ウォール・ストリート・ジャーナルの記事はビフォー・アフターがスライドで確認できて面白いですよ!






以下ウォール・ストリート・ジャーナルの訳です。
致命的な間違いがありましたらどうぞご指摘ください。

シカゴ美術研究所の修復がカイユボットの見方を変えるかもしれない
『パリの通り、雨』
昨年10月、シカゴ美術館修復士のファエ・ルーベルはカイユボットの『パリの通り、雨』を修復し始めた。はじめはいつものクリーンアップ作業だろうと考えていた。
しかし彼女のその発見はこの名作への認識だけでなく、美術史におけるカイユボットの立ち位置までも大きく変えてしまいそうである。シカゴ美術研究所は4/23にこの作品を公開する予定である。

紫外線撮影やその他の検査によって、ルーベル修復士は前回の修復作業時に加えられた空の層を見分けることが出来た。その時の修復は空をどんより、のっぺりとしたものにしてしまっていた。ひとたびその古く黄色くなったニスが取り去られると、作品には空気感が現れ、青みを帯びた人物たちはよりコントラストがはっきりし、深みと優れた光が増した。その結果をうけて学芸員は今、カイユボットを伝統的なリアリズムの画家というよりも、真の印象派画家として捉えられるべきだと考えている。

シカゴ美術研究所の19世紀ヨーロッパ絵画・彫刻の専門家であるグロリア・グルームは述べる。
「この結果は我々が気がつかなかったものを理解する助けになっています。カイユボットは“一瞬への興味”という言葉の面では、本当の意味での印象主義者でした。」
カイユボットはサン・ラザール駅にほど近いこのにぎやかな通りを、“単なる雨の日”として描いてはいない。そうではなく、カイユボットは雨が止み、雲間から光が差そうとしている一瞬を念頭に置いているのだ。それは印象派の特徴であった特異性のひとつであった。

ルーベル修復士は『パリの通り、雨』の色調が変わったことについてこう述べる。
「皆驚きました。誰も予想していなかったことでした。皆この黄色い色は“カイユボットが意図した雨の日の雰囲気の色なのだ”と長い間思っていました。」

同様に不明瞭だった詳細にも注目が。例えば中央の女性が着けているイヤリングはそれまで真珠だと考えられていたが、今、光輝くその様子はそれが実はダイヤモンドであったということを指し示している。

カイユボットは主要な印象派画家の友人であり、彼のコレクションは歴史的な事件によって今オルセー美術館の主要コレクションとなっているが、彼自身は1970年代まで画家として高く評価されていなかった。それが変わり始めたのは、ヒューストン美術館が回顧展を開催した1976年以降のことだ。1894年にカイユボットが死亡してから初めての最も大々的な回顧展であった。その後多くの美術館がカイユボット作品を所蔵することで、カイユボットの名声は着実に上がってきている。

これらの発見が非常に重要であるため、グルーム学芸員はアメリカ中の学芸員や修復士、美術史家を4/22にシカゴに集め調査結果報告会を開催したいとしている。
ワシントンナショナルギャラリーの上級修復士アン・オエニスワルドは「まだ解決すべき疑問点はたくさんあるけど、作品を見るのが待ちきれない。私はカイユボットへの見方は変わると思うわ。」と言う。

紫外線撮影を行うことで修復は大きな進展を遂げた。X線や赤外線では損傷が見つからなかったにもかかわらず、紫外線写真では空の部分に不可解な塗りがあることを示したのだ。パリのマルモッタン美術館にある『パリの通り、雨』の習作の考察も含め検査や調査を行い、ルーベル修復士はカイユボットは、前回の修復でそうなってしまったように、空を全て同じ色で塗るつもりはなかったのだと結論づけた。

上に塗った部分を取り除くと、より鮮やかで複雑な空が現れた。建物付近の煙か汚染物質を描いたと思われる暗めの黄色に始まり、上に行くに従ってクリーム色、灰色に変わっている。
「最期にこの作品を修復した人物がそれを損傷か変色だと誤解して塗りつぶしたのだと思います。わずかに暗い部分を塗りつぶして、残りの空の色と合わせたのでしょう。」とルーベル修復士は言う。

『パリの通り、雨』は4/23に印象派コーナーに通常展示される。そして5/7には再び周囲の壁の修繕のため外される予定だ。

7×9フィートのこの作品が装いを新たにしたことはとりわけ意味のあることだ。なぜなら『パリの通り、雨』はシカゴ美術研究所でトップ10に入る人気作品であり、グルーム学芸員はカイユボットの作品の中で最も認知されていると主張する。「この絵画は到達点であり、世界に認められているのだもの。」

カイユボットのかつての低評価の理由は、なぜウォルター・クライスラーJr.(クライスラー社創業者の息子)が素晴らしいコレクションの中からこの『パリの通り、雨』を売却することにしたのかという点である程度説明ができるかもしれない。シカゴ美術研究所は1964年にニューヨークの美術商からこの作品を購入している。
『パリの通り、雨』はその時まで修復がなされていなかった。ルーベル修復士は昨年一部の表面にいくつかの傷があることに気がつき、作品をスタジオに運んだ。それらを奇麗にし、ひびを固定し、いくつかの小規模な修復をといった通常の修復作業を行うつもりだったのだ。しかしその計画は決して普通でないと判明した。

ルーベル修復士は『パリの通り、雨』の変化がいかに劇的だったかわかっている。
「美術館の中に入って絵を見ると皆驚くわよ。」


© Caillebotte.net All rights reserved