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ブリヂストン美術館がカイユボットの《イエールの平原》を新所蔵&展示
2015-02-21ランダム表示
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ドイツはフランクフルトのシルン美術館でカイユボット展がやるみたいですよー!
シルン美術館の公式案内はこちらから
「ギュスターヴ・カイユボット 〜印象派と写真〜」
2012/10/18〜2013/1/20(現地)
例によってあんまり自信ないけど
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シルン美術館ではフランスの印象派画家ギュスターヴ・カイユボットの多数の作品とドローイングを展示する展覧会を開催します。カイユボットの研究はドイツではまだあまり進んでいませんが、このすぐれた芸術家はフランス、イギリス、アメリカではすでによく知られています。
カイユボットの作品は、フランスの印象派への新しく、基本的で、補完的な新しいアプローチを切り開いています。彼の非常に急進的で近代的かつ写真のような表現は、新しい「見方」の中で、写真と絵画の間の密接な関係を再構築しました。
しかしカイユボットの作品の多くは、アングルや構図のトリミングにおいてだけでなく、動きや抽象化など写真撮影ではもっと遅くにならないと現れないような写真の構図を先取っています。
展覧会は、19世紀後半から20世紀初頭から写真撮影の優れた例も展示し、カイユボットの先駆者としての役割を明確にしていきます。
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んー、面白そうですね!
私は「彼の風景をとらえる「眼」そのものが、レンズに近かったのかもしれない」とは思っているのですが、
じゃあ実際に作品を描く際にどのくらい撮影した写真を参考にしていたのか、ということはよくわからず、
そういう研究には非常に興味があるのです!
シルン美術館のwebマガジンにも詳細が載っています。
こちらはドイツ語しかないので挫折しましたが、
・カイユボットとムンクが時代は異なるものの同じレオン・ボナに師事していた
・ムンクがカイユボットに非常に影響を受けたこと
・レオン・ボナは早くから写真技術を作品制作に取り入れたこと
・ボナは教師としてアカデミックな表現だけでなく、革新的な表現も教えていたこと
などが書かれています。
レオン・ボナが写真技術を取り入れていたとは知りませんでした。
そうなると、カイユボットは写真家である弟マルシャルからの手ほどきだけでなく、レオン・ボナにそういった技術を学んだ可能性は大ですね。
ご興味のある方は、上記サイトへどうぞ。(そして私に内容を教えてくださいmm)
残念ながらドイツには行けないけど、ネットでカタログは買うつもり!
ヨーロッパ橋も展示されるんですね。
あとは何が出るんだろう。早く特設サイトができないかな。
ちょうど(おそらく)カイユボットが枠まで描いたデッサンがあったので
カイユボットの代表作のひとつである「ヨーロッパ橋」と、そのデッサンを重ねて比べてみました。
↓横幅を合わせたもの
↓縦幅を合わせたもの
どちらもしっくりきません。幅が余ってしまいます。
先にデッサンで決めた構図と、実際のキャンバスの縦横比がマッチしなかったのかしら?
まぁでもそんなことはよくあることなのかも。
今度はなるべく全体が合うように重ねてみました。
奥の建物(右手)と道路が基準です。
そうすると、奥の建物(左手)の高さと橋の欄干の一番手前の部分の位置がずれてきてしまいました。
(赤い矢印の所ね。)
逆に欄干の手前部分(黄色い矢印)を合わせると、全体がかなりずれてきてしまいます。
細部の位置を変更したのは「遠近感」を強調させるためだったのでしょうか。
カイユボットの、割とリアルなのに何か不思議な感覚を感じさせる作風は
そういう細かい「ズレ」から来ているのかもしれませんね。
といっても、ヨーロッパ橋&このデッサンだけで結論づけるのは早計。
本気でやるならもっとポイントを取って重ねて検証してみないとね。
この橋と道路と奥の建物のみのデッサンも何枚か描いていて
今回重ねたデッサンが何枚目のデッサンかもわからないし。
あとヨーロッパ橋は習作も多いから、そっちも今度検証してみようっと!
いやぁ、忙しいなぁ(w´ω`w)
1978年10月22日に、母親のセレステが亡くなったこともあり
ギュスターヴと弟のマルシャルはミロメニルの家を離れ、
翌年からオスマン大通りの31番地に2人で暮らし始めました。
この家はオスマン大通りとグリュック通りの角地にあり、上から二番目の階だったため非常に見晴らしのいい住居でした。
この写真の手前がグリュック通りで、向こう側がオスマン大通りになります。
より大きな地図で カイユボット関連地図 を表示
カイユボット(ギュスターヴ)はそこからの眺めをたいそう気に入ったようで
そこから見える通りの様子や上から見た眺めを数多く残しています。
2人の家には多くの友人が訪れ、カイユボットは友人たちの様子なども描きました。
[上から見た眺め / view from upper]
[バルコニー / balcony]
ここにカイユボット達が立っていろいろながめたのかなぁ・・・ (*´∀`*)
1881年または1882年にパリの郊外に引っ越しをするまでこの家で過ごしています。
この建物の下は1990年よりソシエテ・ジェネラル証券によって使われています。
中はこんなみたいですよ( ゚Д゚)
もちろん改装をしたとは思いますが、パリの中心地にあってこの内容。。。
きっとこのカイユボットのアパルトマンも随分お高いお値段だったのでしょうね。