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ブリヂストン美術館がカイユボットの《イエールの平原》を新所蔵&展示
2015-02-21ランダム表示
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「パリの通り、雨」を16分割してみました。
これ前からずっとやってみたかったんだ(^o^)♪
1.左手のアパルトマンの窓の上に三角の飾り屋根?がついています。右のアパルトマンの屋根の上の煙突も規則的にキチンと描かれているんですねぇ。
2.画面の奥(ここでいうと画像の下)の空はクリーム色に変化しています。窓にカーテンが掛かっていることもわかります。街灯はちょうど画面中央に配置されているようです。
3.傘の先は木か何かと金属でできていたのでしょうか。金属の部分は光が当たって反射しています。傘も光を浴びている部分は白っぽく。
4.こうして拡大してみると3本のラインのリズムが面白いですね。雨どいと壁の一部のラインなのかな?
5.こちらの傘には少ししわが張っているよう。傘を差していない男性(中央人物と御者)は肩を丸め気味。沢山の人物が往来しています。
6.建物には「PHARMACIE(薬局)」の文字が。建物の奥の方は工事中?やぐらのようなものが立っています。
7.メイン男性のシルクハットには絹の光沢。頬に赤みも差しています。少し垂れ目気味ですね^^
画面左の女性二人のうち、こちらから見て右の女性はほとんどモノトーンで影のようなのに対し、左の女性は赤いスカーフか何かを首に巻いています。
脚立を持ったハウスペインターがいます。雨になり作業中断しているのでしょうか?「ハウスペインター」とのつながりも感じます。
「ハウスペインター」1877年
8.女性の顔のベールの細かい模様までわかります。少し耳が赤いようですが気温が低いのかしら??背を向けた男性は傘を傾ける気遣い。
傘の輪郭が作る形が面白いです。
9.石畳を歩く男性の足下。細身ですね。傘を持つ指が丁寧に描かれています。
10.こちらはポケットに手を入れ少し足早に歩く男性の足下。
11.メイン男性の洋服。少しブルー味がかったベストとジャケットにシャツのボタンは金色?腕を組んだ女性はブラックシースルーの手袋をしているようです。
12.女性の上着もおしゃれ。身ごろと袖の生地は別生地みたい。中に着ているドレスはブルー&襟元が白?
13.石畳の習作を思い起こします。緑色は石畳が少し苔むしている?
「パリの通り、雨のための習作、敷石」1877年
14.石が他よりくぼんでいる部分。
15.メイン男性の下半身。ジャケットは後ろが燕尾型になっているのかもしれません。
16.メイン女性のスカート。ここにも細かいドレープがかかっています。
5/6/9/10、6/7/8/10/11/12/14/15/16でもまたひとつの絵になりそうですね。
このすごく大きい画像(5,982 × 4,531 pixels, file size: 5.12 MB, MIME type: image/jpeg)はこちらで見ることができます!
http://en.wikipedia.org/wiki/Gustave_Caillebotte#mediaviewer/File:Gustave_Caillebotte_-_Paris_Street;_Rainy_Day_-_Google_Art_Project.jpg
以前行った青森県美術館の「光を描く印象派展−美術館が解いた謎−」。
その考察がとーーーっても面白くて訳してここに載せていたんだけど、
ずっと途中で頓挫していたのよね…
3年以上も経ってしまったけど再びここに!!
って威張ることじゃない…お恥ずかしいことで^^;
c.1890年頃 キャンバスに油彩 65.0×54.5cm
作品概要はこちら
この作品の下端には絵の具の塗り残しがあって
その形からこれが戸外で描かれた作品だということがわかる、というのです。
※これだけではなく他にもこのような塗り残しがある作品はあります。
さらに興味深かったのは「サイン」について。
カイユボット自身が作品にサインをすることは稀で、今作品につけらてているサインのほとんどはマルシャルやルノワールによるものだ、という話は知っていたのですがそれがなぜそう言い切れるのか、というのがよくわかっていませんでした。
『作品の絵の具がかなり乾いた後でサインがほどこされた』ところから推測されるようなのです。
あぁ、なるほどね。
この作品の左下に描かれたサインが塗りつぶされ、右下に描かれなおされた理由が
「美的センスの問題か?」というのも面白い♪
確かに左下はごちゃごちゃしていますものね!
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【図録解説】 「光を描く印象派展−美術館が解いた謎−」展覧会図録P86より
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以下は「公式の調査報告サイト」を翻訳したものです。
(間違いがありましたらどうぞご指摘くださいmm)
詳細図はここに載せていませんのでリンク先をご確認ください。
ちなみにここに書いてあるマランド島については、過去記事をご覧下さい!
・発見!消えたl’?滝e Marande => Marante
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ベローの研究によると、青や緑、黄色を使ったこの秋の情景はマランド島からブゾン村の方向にみたセーヌ川の支流の風景である。 [Berhaut 1994, p. 225]
この作品の下端には絵の具で塗られていない箇所があり、形やサイズから戸外制作で一般的に使われていたイーゼルの留め具の部分と考えられる。それはカイユボットがこの作品を本当にその場で描いたに違いないということを示している(詳細図12)。
裏面からわかるように、このあらかじめホワイトで下塗りされたカンヴァスはよく使われるF15サイズのもので、カイユボットが利用していたパリの画材屋デュビュで購入されたものである。 [Lewerentz 2008 pp. 274-275](詳細図2)。
下塗りや下描きには構図のレイアウトが何もなかったので、おそらくカイユボットは1回か2回外に描きに行っただけでこの作品を完成させたのだろう。
まず、大胆なウェット・イン・ウェットを使った視線を誘導するようなブラシストロークで水面を塗る前に、作品の構成要素をそれぞれの部分の色の半透明のアンダーコートで下塗りした。
そうやって空や水を薄く広範囲に描き、すぐ側の葉っぱや水面の反射は厚く塗ったのだ。(詳細図7,8)
この作品の興味深い特徴は二つサインがあり、両方とも“G. Caillebotte”と読めるという点だ。左下隅にある方は上塗りされてしまっており、赤外線をあてることによって判別ができる。(詳細図5,6)
二つのサインは作品の完成後、絵の具の層が既に乾燥してしまっているばかりでなく所々亀裂の兆候が見られるようになるほどかなり時間が経ってから追加されたようだ。
二つの手描きのサインはかなり似ているが、これらはカイユボット自身の手によるサインと同じものではない。
これら二つの件はカイユボットの作品によく見られることなので、彼の死後、弟マルシャルや遺言執行人のルノワールによって施されたものだと考えられている。
なぜ最初のサインを(おそらく)消し、二番目のサインを右下隅に追加したのかはわかっていない。
純粋に“見た目”の問題だったのかもしれない。
詳細図2:裏面にある画材屋デュビュのマークの再現とサイズ
詳細図3:斜光をあてた様子
詳細図4:紫外線写真
詳細図5:目で確認できる右下隅にあるサインの詳細。顕微鏡でみると手描きのサインはその下の絵の具層の初期の亀裂の中に入ってしまっていることがわかる。(1目盛=1mm)
詳細図6:(上)赤外線による上塗りされた左下サインの詳細 (中)入射光をあてた様子(下)紫外線写真
詳細図7:それぞれのモチーフの形に伸びているブラシストロークの詳細
詳細図8:斜光をあてた様子の詳細。短いブラシストロークで厚塗りに塗られている葉っぱ部分に対して、広範囲の空の部分は全て広塗りになっている。
詳細図9:顕微鏡写真でみるウェット・イン・ウェット(先に塗った絵の具が乾かないうちに次の絵の具をのせカンヴァス上で混色させる技法)とウェット・オン・ドライ(先に塗った絵の具を乾かしてから次の絵の具をのせる技法)(1目盛=1mm)
詳細図10:顕微鏡写真。黄色の葉っぱ部分に詳細不明の黄橙色の固まりが見られる。
(※油彩絵の具ではない何かが付着しているということ?)
詳細図11:顕微鏡写真でみる絵の具の剥落。白の下地に小さな赤黒い着色が見られる。(1目盛=1mm)
詳細図12:作品下部の詳細。絵の具が塗られていない部分はおそらくイーゼルの留め具に固定されていたのだろう。(赤枠線部分)
According to Berhaut, this autumnal scene, with its blues, greens and yellows, shows the view of an arm of the Seine from the ?滝e Marande looking towards the village of Bezons [Berhaut 1994, p. 225]. That Caillebotte might really have painted this picture on site is indicated by an unpainted patch on the bottom edge, whose form and size suggest it is due to the fastening of a field easel typically used for open-air painting (fig. 12). The canvas, pre-primed in white, is the popular F 15 size and, as we see from a stencil verso, was obtained from Caillebotte’s Parisian art-supplies dealer Dubus [Lewerentz 2008 pp. 274-275] (fig. 2). Without any compositional lay-in in the form of an underpainting or underdrawing, the artist executed the work probably in one or two sessions. To start with, he filled the parts of the picture with semi-transparent undercoats of paint in the respective local colour, before covering the surface with directional brush-strokes applied largely wetin- wet. In so doing, he placed large-areas of paint in the region of the sky and the water, applied thinly, right next to impasto dabs in the foliage and the reflections (figs 7, 8). A curious feature of this painting is the presence of two signatures both reading “G. Caillebotte”, although the one in the bottom left-hand corner is now covered by a later overpainting and is only revealed by infrared reflectography (figs 5, 6). Both signatures were applied to the painting long after its completion, when the paint-layer was not only already dry but also showing signs of craquelure in places. The handwriting of the two signatures evinces considerable parallels, but no similarity with Caillebotte’s own. In both cases, as so often in the work of this artist, we seem to have signatures applied posthumously either by his brother Martial or his executor Auguste Renoir [Berhaut 1994, p. 60]. Why a (presumably) first signature was rejected and a second then added in the bottom right-hand corner is unclear. Purely aesthetic motives may have played a part.
Fig. 2:Verso with graphic reproduction of the Du- bus dealer’s mark with measurements
Fig. 3:Raking light
Fig. 4:UV fluorescence
Fig. 5:Details of the visible signature in the bottom right-hand corner, manual inscription is superimposed on early shrinkage cracks in the underlying paint-layer, microscopic photographs (M = 1 mm)
Fig. 6:Details of the overpainted signature bottom left in the IR reflectogram (top), in incident light (centre) and under UV (bottom)
Fig. 7:Detail, brushwork is oriented to the shape of the respective motif
Fig. 8:Detail under raking light, paint application varies from broad areas in the sky, using the whole brush-load, to short impasto dashes in the foliage
Fig. 9:Wet-in-wet and wet-on- dry paint applications, microscopic photograph (M = 1 mm)
Fig. 10:Yellow to orange unidentified lake in the area of the yellow foliage, microscopic photograph (M = 1 mm)
Fig. 11:Loss in the paint-layer, view of the white ground with small proportions of black
and red pigmentation, microscopic photographs (M = 1 mm)
Fig. 12:Detail, bottom edge of picture, unpainted patch presumably due to the canvas having been fastened to a field easel (red marking)
この春から夏にかけてフランス・イエールで開催されていた展覧会に
カイユボットが使用していた絵の具と混色の説明があったそうです。
はっきりどの時期の作品だとかもよくわからないですが
イエールの展覧会に出ていたということは割と若い時の色になるのかな?
たまには違う色を使うこともあるかもしれませんが、
これだけをみてみるとこの当時すでに発売されていた「■緑」や「■紫」の絵の具は使わずに
混色して描いていた様ですね。興味深い!
それに茶色の種類は豊富ですね。
「イエール、広場の芝」
↓こういう作品を研究したのかな?
ちなみに、カイユボットはデュビュというパリ、マルシュブ大通り60番地にあった画材屋を利用したことは判明しています。
この作品で使われた絵の具もデュビュで購入したのかしら?
Brief Report on Technology and Condition
カイユボットが1883年に描いた「アンリ=コルディエの肖像」。
ブリヂストン美術館で開催されたカイユボット展にも展示されていたので、
覚えている方もいらっしゃるかと思います。
展覧会のカタログには
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と書いてあります。
アンリ・コルディエさん、今まではカイユボットの友人の一人だと考えられていたのですが
ところがどうもカイユボットと親戚関係にあったようなのです!
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実はこの話、知人からメールで教えてもらったのです。
まったくもって私の手柄ではないのですけど、その内容をここに記します。
また、私自身は実際この本を読んだり調べたりしたわけではないのですが、
いつか機会があったらこの目でみてみたいです!
いただいたメールの内容抜粋です。
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コルディエが1925/3/16に亡くなった後、同じ東洋学者であったポール・ペリオがコルディエに敬意を表して「Henri Cordier (1849 – 1825)」という彼の人生についての本を書きました。
それを読んでみると、このような記述があったのです。
« Son père chargé de fonder à Changhai une agence du Comptoir d’Escompte, était parti en 1859 pour la Chine, où il fut bientôt rejoint par sa femme et son plus jeune fils. Les deux ainés sortaient chez leurs parents Caillebotte, c’est à cette parenté qu’est dû le portrait d’Henri Cordier par Caillebotte… ».
« アンリの父親がコントワール・デスコント銀行の上海支店設立の担当となり、1859年に中国にやってきた。そしてそこに妻と息子も加わる。アンリの祖父母はカイユボットの親戚筋であり、そのためカイユボットがアンリ・コルディエの肖像を描いたのだ。»
市のアーカイブにアクセスしたらすぐにわかりました。
アンリの祖父ジェロームはルマスケリエ家(カイユボットの父マルシャルの2番目妻の家)の結婚や出産に何度も証人として出席しているようです。
さらにアンリの父であるウジェーヌ・エルネストが生まれたとき、父マルシャルの2番目妻の父親のフィリップ・ジョセフ・ルマスケリエが出生証明書の証人の一人として署名していたのです。
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家系図もつくっていただいちゃったんだけど、わかるかな・・・?
ギュスターヴ・カイユボットの父親マルシャルの二番目の妻のセラフィーヌの父親フィリップ・ジョセフと
アンリ・コルディエの曾祖母テレーズが兄弟だ、ということです。
ちなみにギュスターヴはマルシャルの三番目の妻との間の子です。
かなり遠い親戚(はとこの子供同士くらいの遠さ)であり、
父親マルシャルの前の奥さんつながりなので『血縁』というわけではないのですが、
(※二番目の妻と三番目の妻は血縁関係の可能性が…そうなると『血縁』になりますね。2014/12/17追記)
(※二番目と三番目の妻は叔母、姪の関係でした。二人は遠いながらも血縁関係です。詳しくはこちらを » 2014/12/20追記)
随分濃い親戚付き合いをしていたようですし
カイユボットはコルディエを親戚だとわかった上で描いたのでしょう。
アンリ・コルディエの「学者」という社会的側面を描きつつ、
書き物の姿勢や開きっぱなしの棚などからうかがえる格好付けていない様子から
彼のプライベートな空間を描こうとしたカイユボットらしさが出ています。
家族や親戚のポートレイトを数多く描いたカイユボットですが
アンリ・コルディエが親戚だとわかった今
この作品はさらにそうした傾向を特徴づける作品だと言えるでしょう。
もしかしたら明らかになっていないだけでまだ他にもそうした肖像画があるのかもしれないですね*^o^*
ウォール・ストリート・ジャーナルの4/15の記事に
カイユボットの『パリの通り、雨』についての面白い記事が出ていました。
Chicago Restoration May Alter View of Caillebotte >>
日本語訳はこの記事の下にのせています。
シカゴ美術研究所が調査、修復したところ、この作品の「真の色」が現れたとのこと!
この作品は、今我々が考えているよりももっと印象派、そしてカイユボット自身にとっても重要な作品なのかもしれない。
かいつまんで言うと
・前回の修復者が空を塗りつぶしてしまったが、実際の空の色はもっと複雑な色調をしていた。
・この場面は“雨が止み、太陽が雲間から光差す一瞬”なのかもしれない。
・だとしたら一瞬を捉えるという意味で、この絵は非常に印象主義的作品だ。
・この発見はこの絵の評価、そしてカイユボット自身の評価をも変えてしまう可能性がある。
↓修復前
↓修正後
※修正後の画像がちょっと画像が暗いのは、動画からキャプチャしたためかと思います。
傘と建物の付近の方が若干色が暗くなり、トーンの違いがはっきりしたのがおわかりでしょうか?
この違いが“雨が止み、太陽が雲間から光差す一瞬”を表現しているのかも?!
おぉ。なんだか心がときめきます!!
部分ではわかりにくいですが、是非リンク先の記事に載っている比較画像を見てみてください。
黄色っぽさが抜けて、より作品の奥行感が出てきた気もします。
特に“一瞬”という点ではクロード・モネの『印象・日の出』を思い出しますね。
今まで「『パリの通り、雨』はなぜ雨を描いていないのかしら?」と思っていたのですが
これがさーっと降った雨が止んだまさにその瞬間だった、と考えるとなんだか納得がいきます。
今だったらそのくらいの雨の場合、ヨーロッパの人は傘なんか差さなさそうですけど。
カイユボットがこの作品をすごく「広がり」のあるものとして描いたと感じていたのですが、
雨が上がった瞬間だと考えると、その「広がり」ともリンクしていそう。
これは斬新な作品だわい! >>
本当はどういうつもりだったのかカイユボットにしかわからないですけどね。
ゴッホみたいに自分の作品についてカイユボットが色々と述べているような手紙でも見つからないかなぁ!
画像だと修正前なのか後なのかわかりにくいのが難・・・。
実際はもっとブルーっぽさがあるのでしょうね。
この修復作業を終えてシカゴ美術研究所は『パリの通り、雨』の展示を開始したそうです。
これは実際にこの目で見てみるしかない?!
いつかシカゴにこの作品を見に行きたいなぁ!
できれば修復前の色合いも見ておきたかった!
シカゴ美術研究所サイトの現在のTOPページもいい感じ!
こんなに大きな作品なんですねぇ。
カイユボットもこういう感じで細かい絵筆を持って作品を描いたのかもしれないですね。
修正に関する細かいところは動画とウォール・ストリート・ジャーナルの記事をご覧下さい。
ウォール・ストリート・ジャーナルの記事はビフォー・アフターがスライドで確認できて面白いですよ!
ブリヂストン美術館でのカイユボット展、開催中ですね!!!!!
初めは土曜講座にあわせて会期の後半にいくつもりだったのですが、
なんと「ヨーロッパ橋にて」が期間限定展示されるとの情報が!
この作品は私の中では「カイユボット展に来ていたら個人的に嬉しい「10点」※」の中のひとつなので、
是が非でも、黒が白でも行かなくては!!
これだけを目当てにとんぼ返りで行って参りました。
※ちなみにこの10点、打率は4割でしたねぇ。ちょっと残念。
今回の展覧会にはカイユボットの代表作のひとつである「ヨーロッパ橋」も来ているのですが、
この「ヨーロッパ橋」と「ヨーロッパ橋にて」が壁のコーナーに直角に展示されていて、
ふたつの作品に囲まれながらこれらを同時に鑑賞することができるのです。
ヨーロッパ橋を巡る遠景と近景の写真を並べてみているようでした。
ある日の橋はこんな風で、ある日の橋はこんな風景だったのかなぁと思いをはせることができます。
「ヨーロッパ橋にて」は想像していたよりも色味がグレーで、丁寧ながらぽってりとした筆致が印象的でした。
(もっと写実的な絵筆だと思っていたので少し意外。これについてはまた今度エントリしよう。)
そして鉄橋のつくる直線、斜線、扇形、三角形、楕円。
来るべきブリヂストン美術館のカイユボット展に何が来ていたら個人的に嬉しいか考えてみました!
(嬉しいか、というだけで予想ではありません。・・・暇なんですね^^;;)
まずこの三点はカイユボットの代表作として殿堂入り!
「床の鉋かけ」
「ヨーロッパ橋」
「パリの通り、雨(パリの街、雨)」
ここからは、色々迷って残り7点絞りました!!(順不同)
「ヨーロッパ橋 (別バージョン) 」
この色味、そしてこの構図!
作品の大部分を占める大胆な鉄骨、その隙間から見えるサン・ラザール駅の汽車と噴き出す蒸気。
それを眺める男たち、足早に過ぎる男。そしてそれをばっさりと切るカイユボットの思い切り!
いつ見ても惚れ惚れするわー。
なぜ印象派展に出展しなかったのだろう??
「オースマン」
水平線の映っていない川、顔のない男達。
この構図もなかなかできる事じゃないと思います。
こうして画像を見ている時と、実際本物の作品を見る時とでは自分の立ち位置(目線がどこにあるか)が違う事って多いので、この作品の場合自分はどこから見ているテイになるんだろう…と楽しみなのです。
「昼食」
こちらこそ画像と実際の作品を見た時とで立ち位置が全然違って驚いた作品。
実はジャックマール・アンドレ美術館での展覧会に出展されていて、
もう一度みたいと思っているもののひとつです。
この作品の手前にお皿が並んでいるのですが、前に立った時「あ、ここが自分の席なんだ、これからここに自分は座るんだ」と思いました。そしてその割にはなんだか暗い室内と会話のない家族の食卓。
不思議な感覚に襲われます。
「室内、窓辺の女性」
こちらも同様にジャックマール・アンドレ美術館に出展されていました。
とても印象深かったので、もう一度見てみたい!!
目の前に立ちはだかる女性の圧倒的無言の背中!
物憂げで凜としていて、不満があり決意がある。(気がする)
日本語版の解説にどんな事が書いてあるのかも読んでみたいです。
「マダムXの肖像」
青と黄色で描かれたパステル画を一点。
できれば「R氏の肖像(男の肖像)」と並んで展示されていたらなお嬉しい。
このこの青白い吸血鬼みたいな男性の肖像画を画中画に載せるくらいカイユボットが気に入っていたのか、はたまたR氏とマダムXが夫婦か何かだったのか。
何故この摩訶不思議な色合いで描いたのか。
「プティ=ジャンヌヴィリエのリチャード=ガロとディック」
わんちゃんがいつも楽しそうだなぁ〜って。
この絵を見たらきっと楽しい気分になれると思います。
「ヨーロッパ橋」もそうですが、犬に連れられて作品の中を巡れるなんてきっとワンダフル。
「プティ=ジャンヌヴィリエの岸辺、冬」
白黒の画像しか見たことのない作品はなかなかランクインしませんでしたが、
こちらはカイユボット最後の自画像ということで、一度見てみたいと思っています。
どんな色合いで、どんなタッチなのかしら。そしてどんな気持ちで描いたのかしら。
他にも図録で白黒しか見たことのない作品が来ていたら嬉しいな!
あと、食べ物&食材シリーズも見てみたいな!
それからこうしたサムネイルでは全然気がつかないけれども、実際に見てみたら新しい発見が色々あるような良い作品が来ていたらいいな!
ようするにとても期待しています(*゚ω`人)
そしてこちらはブリヂストン美術館さん所蔵の作品となりましたので当然出展されているでしょうが、
これを機会に研究発表などあれば嬉しいですね。
「ピアノを弾く若い男」
パリの有名なオークション「ドゥルオ」のコラム?に
カイユボットの新しく発見された作品についてのものがあると教えていただいたので読んでみました〜。
この作品「腰掛ける若い女性」はベルオのカイユボット全集には掲載されていません。
いつどのような経緯で発見されたのか不明ですが、最近発見された作品なのでしょう。
女性が無背景の中椅子に腰掛けてこちらを向いている作品です。
全体にグレー味を帯びていて少し物憂げな印象を受けます。
以下、翻訳してみましたがそこまで自信はありません^^;;;
元サイトはこちら >>
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誰なのか。
正体が分かっていないモデル、未公開作品、多様な側面をもつ画家
手がかりは「ギュスターヴ=カイユボット」というサイン
「カイユボットの作品が地方にある」この知らせは我々をおおいに喜ばせました。さらに話はそこで終わりませんでした。少し不機嫌そうな態度、孤独に満ちたまなざしを持ったこの女性の影に、もっとも偉大な印象派画家の一人のサインがあったのです。
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1879年、カイユボットは画家でもあり印象派の重要なパトロンの一人でもあったので、この革新的な芸術運動の中心となっていました。
カイユボットは1848年8月19日に、ナポレオン三世の統治下に軍に寝具を販売するという織物業での成功後、オスマン男爵の偉大な業績の時代の不動産投資によって財をなした家庭に生まれました。若き日のギュスターヴはパリ最大のリセ(学校)の中の一つルイ・ル・グラン校で勉強し、弁護士としての明るい将来を決めながら、1870年にアカデミー画家レオン=ボナの画塾に入塾し家族を驚かせます。それによってエコール・デ・ボザールにて生涯の友人であるドガ、モネ、ルノワールらと出会います。
1874年は全てを変えた年でした。第一回印象派展が開催されましたが、それにカイユボットは参加しませんでした。というのはカイユボットの父親が亡くなるという悲しい出来事が起こったからなのです。父親はその妻と4人の子供達に約200万フラン、不動産、有価証券を残しました。言うなればその資産所得だけで生活できるという幸運なことでした。カイユボットは生活に困窮することなく、全ての情熱を捧げることができるようになったのです。そのため作品を売る必要がなく、彼が死ぬまで作品の3/4は家族が所有していました。
パトロンとなることで、カイユボットは印象派の友人達を経済的に助け、展覧会を支えました。自身も1876年の印象派展にはその前年サロンに落選した、今や有名な「床の鉋かけ」を出展しています。
そしてもっとも充実した制作期を経、その10年後、他に情熱を注いでいた造船やガーデニングにさらに時間をかけるためにジャンヌヴィリエの家に隠居しました。
カイユボットは若くして45歳の時に死去します。ピサロは「我々は誠実で献身的な友人を失ってしまった。悲しいことに彼は良き人であり、さらに有能な画家だった」と書いています。
—-
長い間正しく評価されていませんが、カイユボットの作品は風景やパリの景色だけでなく、品の高い肖像画で成り立っています。オルセー美術館にあるカイユボットの最後の自画像はよく知られています。そしてその自画像とは「斑模様の背景」「同じような光と陰の使用」という点でこの若い女性の肖像画との共通点があります。
カイユボットはブルジョワ趣味の室内にモデルを配置することや、椅子に腰掛けた斜め3/4のポーズを好みました。1877年頃描かれた「室内にいる若い女性の肖像/マダムHの肖像」にもこの若い女性モデルとの驚くほどの類似点が示されています。
しかしこの「腰掛ける若い女性」のモデルの正体は不明です。研究社テュルカンは[恋人のアン・マリー=アジャン(シャルロット)なのでは?]、[友人でありフランス憲法の編集者であったリチャード=ガロの妻では?]という説を否定しています。
確かにこの作品はカイユボットに特徴的な青色、灰色、紫色が使用された簡素で洗練された肖像画なのです。それはまた象徴的な作品でもあります。この作品が描かれた1879年、カイユボットは家族にとって一大事であり悲しい出来事に従事していたためあまり作品を描きませんでした。1876年に弟のルネが、1878年に母親が亡くなり、思い出のつまったイエールの所有地を売却に出したのです。
この女性の表情から感じられる孤独でノスタルジックな感情は一体何から来るのでしょう。
落札予想価格:120,000-150,000ユーロ
ギュスターヴ=カイユボット (1848-1894)「腰掛ける若い女性」
サインと年:“G.Caillebotte/79”, 71×55 cm
11/24(土)ナンシー、Nabecor Enchères SVV. Cabinet Turquin.
Qui est-ce ?
Un modèle inconnu, un tableau inédit et un peintre aux facettes multiples…
Jeu de piste autour de ce portrait signé Gustave Caillebotte.
Un Gustave Caillebotte en régions. L’annonce avait déjà de quoi nous plaire ; l’histoire, en plus, ne devait pas s’arrêter là. Derrière son attitude quelque peu renfrognée, son regard empli de solitude, cette jeune femme nous révèle d’abord un tableau signé d’un des plus grands peintres impressionnistes. Daté 1879, il se place en plein coeur de ce mouvement pictural révolutionnaire, dont Caillebotte fut à la fois l’un des artistes et l’un des mécènes les plus importants. Il n’est pas inutile de revenir sur sa biographie. Notre artiste a vu le jour un 19 août 1848, dans une famille qui avait fait fortune dans le textile sous Napoléon III – son père vendait des draps aux armées –, puis dans de multiples et judicieux investissements immobiliers, au moment des grands travaux du baron Haussmann. Le jeune Gustave effectue comme il se doit ses études dans l’un des plus grands lycées parisiens, Louis-le-Grand. Promis à un brillant avenir au barreau, il surprend son petit monde en s’inscrivant dans l’atelier du peintre académique Léon Bonnat, en 1870. Il passera également un temps à l’École nationale des beaux-arts, où il rencontre ses fidèles amis, Edgar Degas, Claude Monet et Pierre-Auguste Renoir. L’année 1874 sera celle de tous les changements. S’organise alors la première exposition impressionniste, que Caillebotte soutient sans toutefois y participer. Un autre événement, tragique celui-là, a également lieu : le décès de son père. Ce dernier laisse à sa veuve et à ses quatre enfants quelque deux millions de francs, des biens immobiliers et des titres à se partager, autant dire une fortune qui leur permettra à tous de vivre de leurs rentes. Gustave peut désormais se consacrer entièrement à sa passion, sans se soucier du lendemain. Nul besoin de vendre ses tableaux, dont les trois quarts resteront jusqu’à sa mort dans la famille.
Devenu mécène, il fait largement profiter ses amis impressionnistes de son argent, soutenant toutes leurs expositions, auxquelles il participe à partir de 1876, un an après l’offense du refus au Salon officiel de ses désormais célèbres Raboteurs de parquet. Sa plus grande période de création s’ouvre alors, et s’achèvera une dizaine d’années plus tard, quand il se retire dans sa maison de Gennevilliers pour s’adonner plus largement à ses autres passions, à savoir la construction navale et le jardinage.
Il y décède à seulement 45 ans. “Nous venons de perdre un ami sincère et dévoué… En voilà un que nous pouvons pleurer, il a été bon et généreux et, ce qui ne gâte rien, un peintre de talent”, écrit Camille Pissarro. Longtemps méconnu, son oeuvre se compose de paysages, de vues de Paris, mais aussi de portraits de grande qualité. Chacun connaît son dernier Auto portrait, conservé au musée d’Orsay. Il présente d’ailleurs des similitudes avec notre Portrait de jeune fille : même usage du fond moucheté, mêmes jeux d’ombre et de lumière. Caillebotte aime également placer ses modèles dans des intérieurs bourgeois, assis de trois quarts dans un fauteuil, comme en témoigne un Portrait de jeune femme dans son intérieur ou portrait de Madame H, une toile datée vers 1877 présentant une confondante ressemblance avec notre modèle. Pour autant, son identité demeure un mystère. Dans ses recherches, le cabinet d’expertises Turquin réfute plusieurs théories, dont l’une nous mène vers une maîtresse du peintre, la dénommée Anne-Marie Hagen dite Charlotte Berthier, une autre conduirait vers la compagne de son ami Richard Gallo, directeur du Constitutionnel… Demeure avec certitude un portrait d’une élégante sobriété, marqué par les bleus, gris, mauves et violets typiques de Gustave Caillebotte. C’est aussi une toile emblématique. En cette année 1879, le peintre travaille moins, sa tête est aux affaires familiales, plus importantes et tristes. Après le décès de son frère René, en 1876, puis de sa mère en 1878, il s’occupe alors de vendre la propriété familiale de Yerres, où il avait tous ses souvenirs. De quoi se sentir seul et nostalgique, des sentiments perceptibles dans ce visage féminin.
Estimation : 120 000/150 000 euros.
Gustave Caillebotte (1848-1894), Portrait de jeune femme assise,
toile d’origine signée et datée “G.Caillebotte/79”, 71 x 55 cm.
Nancy, samedi 24 novembre. Nabecor Enchères SVV. Cabinet Turquin.
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昨年11/24にナンシーにあるギャラリーで206,400ユーロ(約2,500万円)で落札された模様です。
落札予想価格を上回ったようですね。
例によって、どんな人(団体)が落札したのか気になるなぁ〜。
1879年に描かれた「ジュール=リシュモン氏の肖像」に比べると随分大人びてアンニュイな(という言い方がしっくりくるのかわかりませんが・・・)作品のように感じます。
こちらの方は第五回印象派展に出展したことを考えると、この「腰掛ける若い女性」にはまた別の思いがあったのでしょうか。
ちょうど(おそらく)カイユボットが枠まで描いたデッサンがあったので
カイユボットの代表作のひとつである「ヨーロッパ橋」と、そのデッサンを重ねて比べてみました。
↓横幅を合わせたもの
↓縦幅を合わせたもの
どちらもしっくりきません。幅が余ってしまいます。
先にデッサンで決めた構図と、実際のキャンバスの縦横比がマッチしなかったのかしら?
まぁでもそんなことはよくあることなのかも。
今度はなるべく全体が合うように重ねてみました。
奥の建物(右手)と道路が基準です。
そうすると、奥の建物(左手)の高さと橋の欄干の一番手前の部分の位置がずれてきてしまいました。
(赤い矢印の所ね。)
逆に欄干の手前部分(黄色い矢印)を合わせると、全体がかなりずれてきてしまいます。
細部の位置を変更したのは「遠近感」を強調させるためだったのでしょうか。
カイユボットの、割とリアルなのに何か不思議な感覚を感じさせる作風は
そういう細かい「ズレ」から来ているのかもしれませんね。
といっても、ヨーロッパ橋&このデッサンだけで結論づけるのは早計。
本気でやるならもっとポイントを取って重ねて検証してみないとね。
この橋と道路と奥の建物のみのデッサンも何枚か描いていて
今回重ねたデッサンが何枚目のデッサンかもわからないし。
あとヨーロッパ橋は習作も多いから、そっちも今度検証してみようっと!
いやぁ、忙しいなぁ(w´ω`w)
この度、ブリヂストン美術館さんにご丁寧にメールをいただきまして、
「あなたに見せたい絵があります。−ブリヂストン美術館開館60周年記念−」
の内覧会にお邪魔して参りました。
私の目的はもちろんコレ、
ブリヂストン美術館が新しく所蔵した「ピアノを弾く若い男」です!
日本の美術館では初めて※カイユボットの「前期」の作品を「常設」したのですから
Caillebotte.netとしては喜び勇んでお伺いするしかありません。
※初期でない作品では東京富士美術館の「トゥルーヴィルのヴィラ」があります。
あと、古い情報ですがAska International Ltd.,が2作品持っているとかいないとか?(未確認)
※再発見は1970年代です。
最後にブリヂストン美術館さんの宣伝を
「あなたに見せたい絵があります。-ブリヂストン美術館開館60周年記念」
2012年3月31日(土)〜2012年6月24日(日)
学芸員の方たちの、純粋に「これら絵を見てもらいたい!」という珠玉の109作品が展示されています。
ここはカイユボットブログと言うことでその他の作品については触れませんが
その他の作品も見応えのある作品でした。
約三ヶ月という長い会期に加え、休館日は4/15(日) 4/23(月) 5/28(月)のたったの三日間!
この展覧会にかける思いが伝わりますね。
東京駅からもすごく近いので、旅行の空いた時間に行くことだってできますよ!
また、今回の展覧会の図録にも約8ページにわたって
「ピアノを弾く若い男」の解説文が載っています。
カイユボット単体の解説文は日本では数少ないですから、これも是非とも読んでください!
「ピアノを弾く若い男」サイト解説文