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当時の人が驚いた色彩感覚で描かれた 「コロンブの丘」


1884 年 カンヴァスに油彩 60.2×73.3cm
作品概要はこちら

(ドービニーの)《花咲く果樹のある草原》と比べると、当時の人々が印象派の作品に驚愕し、当惑させられた理由が理解できる
これはこの作品の解説の一文ですが、残念ながら私たちはそれを忠実に理解することは難しいでしょう。

daubigny.jpg
《花咲く果樹のある草原》シャルル=フランソワ・ドービニー 1869 年頃
カンヴァスに油彩 45.2×82.3cm


現在この世界は光にも色にもあふれているし、もっとどぎついものもたくさんあります。
光が色々な色を含んでいることを知っていますし
丘がピンク色にみえることがあることだって分かっています。
特に外国に行くと土がピンク味を帯びていることはきっとあるでしょう。
そして画家が何をどのような色で描こうがそれほどたいしたことではないのですから。

逆にどうして丘をピンクで描いてはいけなかったのでしょう?

 +  +  +

例えば日本では、太陽は赤い色で描かれます。虹は七色と決まっています。
しかし実際日中の太陽は赤いかというとむしろ白いし、
外国では虹の色数はそれよりも少ない数だといわれています。

私たちが白い太陽が照りつけ、3色の虹が架かっている絵をみたらきっと「あれ?」と思うでしょう。
その「?」の気持ちが「???????????????→怒」になったのが
当時の印象派に対する大衆の感覚なのかも。

影は黒。土は茶色、木々の色は落ち着いて。
筆致は丁寧に。画面の隅々まで気を配り、習作も描き念入りに。
そして主題にはヒエラルキーが。

んー、この時代は絵画とはこうあるべきだという決まりがものすごくあったわけです。


この「コロンブの丘」は画面や印刷物で見るよりも、もっと色が派手で、
とくに緑の丘の部分は「塗ったくってある」という印象さえ受けました。
そして作品がドービニーのものより少し大きいことも、
筆が雑な感じをより与えたかも知れません。

保守的な人には受け入れがたい作品だったでしょう。


絵画の流れの中で、いくつかの流行遅れな作風ができたり
異端な画家が現れたことはあっても
こんなに大衆の感覚がひっくり返るようなことってなかったんじゃないでしょうか。


こうしてカイユボットとドービニーと比べてみても
そんなに怒ることないじゃないって思っちゃいますけどね。
アンテナ感度低いかな・・・汗



 +  +  +

カイユボットがこの作品を描いた1884年頃、
後期印象派、新印象派も台頭し、
他の印象派の画家たちも自分たちの新たなステージに進んでいきました。

その中でカイユボットは逆にこの「コロンブの丘」のように「印象主義的」な作品を描くことが多くなっていきました。



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【図録解説】
カイユボットは1848年、パリに生まれ、国立美術学校(エコール・デ・ボザール)で学んでいたが、印象派の画家たちとの校友を通して新しい絵画の探求へと熱中し、1876年の第2回展から印象派展に参加している。
《コロンブの丘》のピンクと緑に輝く丘の色彩を、印象派の先駆者として位置付けられているバルビゾン派の画家ドービニーの《花咲く果樹のある草原》と比べると、当時の人々が印象派の作品に驚愕し、当惑させられた理由が理解できるだろう。
ドービニーの自然な色彩と並べてみると、カイユボットの色彩はあまりに鮮やかで、非現実的にすら感じられる。「印象派展は全体的に絵の具塗り立てのカンヴァスの集まりのようで、それらのカンヴァスにはピスタチオ、ヴァニラ、アカフサスグリのクリームが大量に塗りたくられている(※)」1877年の第3回印象派展に対する『ル・フィガロ』誌のこの批評は、今日では非常識で過激な表現に思われる。しかし、同時代の多くの人々にとって非常識で過激に感じられたのは印象派の作品の方だったことは、近年までの研究で明らかにされている。
印象派の画家たちは、自身の感覚がとらえた光と色彩の効果を忠実に表現しようとした。だが、彼らの作品はまったく不自然で理解不能なものとされ、この画家たちは目に障害があるのではないか、色覚がおかしいのではないかとまで厳しい批判にさらされてしまう。
しかし、カイユボットがこの作品を描いた1880年代には、印象派を理解し、評価する声も上がり始めていた。画家たちの試みは、光と色彩に関する当時最新の科学理論と結びつけられ、新しい時代にふさわしい新たな絵画の誕生として語られるようになる。

※ バロン・グリム「バロン・グリムの逸話封書間:印象派」『ル・フィガロ』誌、1877年4月5日

「光を描く印象派展−美術館が解いた謎−」展覧会図録P44より
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以下は「公式の調査報告サイト」を翻訳したものです。
(間違いがありましたらどうぞご指摘くださいmm)
詳細図はここに載せていませんのでリンク先をご確認ください。

作品スペックなどはまた後ほどまとめて。

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「コロンブの丘」は1884年に描かれたプティジャンヌヴィリエ近くの戸外の景色の習作のひとつだ。
[Berhaut 1994, p. 182-183, 参照: Caillebotte WRM Dep. FC 561]

カイユボットは標準的なF20サイズの、あらかじめ白く下塗りをほどこされたカンヴァスを使用している。
裏面にある販売元のステンシルによると、彼はカンヴァスをパリの画材店「デュビュス」で購入していたようである。
[参照: Caillebotte WRM Dep. 828, WRM Dep. FC 561, WRM Dep. FC 689, WRM Dep. 622] (図2)

カイユボットは下描きをせず、モチーフの広いエリアに幅の広いブラシストロークで勢いよく色を塗った。
そして、激しいブラシワークから考えると、制作を続行する前にこの色の地塗りを完全に乾かしたのだろう。
その激しいブラシワークは作品の多くの箇所で見ることができ、また制作後半ではいくつかの箇所で、例えば画面左手前のように、ブラシワークを(それまで絵画常識であるの丁寧な筆致と違って)著しく「逸脱」させているようだ。 (図3, 8, 10)

緑の野原が灰ピンク色で地塗りされているように、色の中にも「脱線」が見られる。(図11)
このことはカイユボットが制作の過程でこの部分を変更したのだということを示している。
下描きの後の仕上げは、おそらくウェット・イン・ウェット、ウェット・オン・ドライといった2、3の過程を経たのだろう。

すでにカイユボットの他の作品の中でわかってるように、この作品も戸外で描かれた可能性がある。
例えば下端中央の屋外用イーゼルの留め具装置の使われた部分には絵の具が塗られていないのだ。
[Lewerentz 2008, p. 278-279, 282] (図9)
また、縁にはまだ絵の具が乾いていないときにカンヴァスを不注意に扱ったと思われるような跡や別の作品の絵の具が残っている。(図10)

右下の黒いサインはベローによってスタンプだと分類されていたが、より詳細な研究によってこれはスタンプではなく、手で書かれたものだということが判明した。[Berhaut 1994, p. 182]
たとえそうであってもカイユボット自身の手によるものではない。(図6)
おそらく弟マルシャルか遺言執行人のルノワールの手によるもので、彼らはカイユボットの死後、いくつもの画家の絵にサインを施したのだ。
[Berhaut 1994, p. 60, 参照: Caillebotte WRM Dep. FC 689, WRM Dep. 622, WRM Dep. 828]

詳細図2:(小画像上)裏面にある画材屋デュビュのマーク。(小画像下)下枠の粘着紙を一部はがした様子。赤外線で見ると文字が書かれていたことがわかる(モノクロ画像)。
詳細図3:斜光をあてた様子
詳細図4:透過光線写真
詳細図5:紫外線写真
詳細図6:精密顕微鏡によるサイン詳細。(1目盛=1mm)
詳細図7:斜光をあてた様子の詳細。丘の頂上部分の筆運びが識別できる。
詳細図8:斜光をあてた様子の詳細。下塗りの厚塗りで短いタッチのブラシストロークの質感が、上から塗った絵の具層を通してわかる。それは上の絵の具層からみると、リズムや方向が所々でかなり逸脱している。
詳細図9:作品下部の詳細。絵の具が塗られていない部分はおそらくイーゼルの留め具に固定されていたのだろう。
詳細図10:(左:斜光をあてた様子の詳細)作品が乾く前に不注意に取り扱った、押されて出来た縦線がついた部分。(右:入射光をあてた様子の詳細)変わった形の青い絵の具の付着
詳細図11:手前草地の中にピンク色の下地が見える。顕微鏡写真(1目盛=1mm)
詳細図12:丘頂上の白い厚塗り部分にみられるウェット・イン・ウェットの混色の様子。顕微鏡写真(1目盛=1mm)
詳細図13:顕微鏡写真でみる空の白い厚塗り部分。ニスの下にダークグレーの土がついている。(1目盛=1mm)


The painting of The Hillside at Colombes is one of a series of landscape studies of the open fields near Petit Gennevilliers which Caillebotte painted in 1884 [Berhaut 1994, p. 182-183, cf. Caillebotte WRM Dep. FC 561].
The artist used a canvas pre-primed in white in the standard F 20 size.
According to a dealer’s stencil verso he acquired the canvas from the Parisian art-supply store Dubus [cf. Caillebotte WRM Dep. 828, WRM Dep. FC 561, WRM Dep. FC 689, WRM Dep. 622] (fig. 2).
Without any underdrawing, Caillebotte laid in the broad areas of the motif briskly in broad brush strokes.
Before he continued with his painting, he appears to have let this underpainting in colour dry out completely, as evidenced by the often vigorous brushwork which is apparent through the visible painting in many places, in some places deviating markedly from the latter, as for example in the left foreground (figs 3, 8, 10).
There are also deviations in the coloration: thus the green fields are underpainted in greyish-pink (fig. 11).
This suggests that Caillebotte made corrections in this area of the picture during the painting process.
The paint applications following the underpainting were probably executed in two or three sessions, both wet-in-wet and wet-on-dry.
As already observed in other paintings by Caillebotte, the present picture too provides clues to its having possibly been painted in the open air: in the middle of the bottom edge, for example, there is a small unpainted area typically resulting from the fastening device of a field easel [Lewerentz 2008, p. 278-279, 282] (fig. 9).
Also, there are on the edges pressure marks and traces of paint which do not belong in this picture, suggesting careless handling of the canvas while the paint was still wet (fig. 10).
The black signature in the bottom right-hand corner is classified by Berhaut as a stamp [Berhaut 1994, p. 182].
However closer inspection reveals it to be no such thing, but rather a manually applied inscription (fig. 6).
Even so, it cannot be positively identified as Caillebotte’s own handwriting, and may be due to his brother Martial or his executor Auguste Renoir, who both signed many of the artist’s paintings after his death [Berhaut 1994, p. 60, cf. Caillebotte WRM Dep. FC 689, WRM Dep. 622, WRM Dep. 828].

Fig. 2:Verso with detail of the Dubus dealer’s mark (inset, top) and details of the turnover edge at the bottom after the partial removal of the adhesive paper (inset, bottom). Under infra-red the b/w picture reveals an indecipherable inscription
Fig. 3:Raking light
Fig. 4:Transmitted light
Fig. 5:UV fluorescence
Fig. 6:Details of the signature, top microscopic photograph (M = 1 mm)
Fig. 7:Detail under raking light, clearly discernible brushwork in the region of the crown of the hill
Fig. 8:Detail under raking light: the texture of short impasto brushstrokes of the underpainting is visible through the upper layers of the paint, in places deviating significantly from the latter in rhythm and orientation
Fig. 9:Detail, bottom edge, showing an unpainted patch probably due to the fastening of the picture to a field easel
Fig. 10:Details of the peripheral regions with evidence of careless handling of the painting while it was still wet: vertical pressure mark (left, under raking light) and strange splashes of blue paint (right, under incident light)
Fig. 11:Pink underpainting in the area of the green field in the foreground, microscopic photograph (M = 1 mm)
Fig. 12:Wet-in-wet blend in a white impasto area in the region of the crown of the hill, microscopic photograph (M = 1 mm)
Fig. 13:White impasto area in the sky with dark-grey remains of dirt beneath the varnish, microscopic photograph (M = 1 mm)

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なんか長くなっちゃったよ。

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