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ブリヂストン美術館がカイユボットの《イエールの平原》を新所蔵&展示
2015-02-21ランダム表示
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サザビーズのモンソー公園の訳に続いて「イエールの谷」を翻訳したでござる。
なるほど大胆な風景画だったんですね。
それで印象派展にだしたのかな。
これがその当時どのくらい大胆だったかなんて現代の我々にはわからないのは残念だなぁ。
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【由来】
パリ、アーネスト=メイ。1879年に購入、1921年まで所有。
パリ、アンドレ=モーリス。1955年頃購入。
パリ、デュルオ・リシュリューの「近代絵画」にて個人に売却(1991年4月15日)。ロットナンバー28。
落札予想価格:$1,000,000 – $1,500,000 (9千5百万円〜1億4千万円)
販売価格:$1,142,500(1億1千万円)
※日本円は参考です。売却当時のレートとは異なります。
〜中略(展示展覧会、文献)〜
【作品について】
1860年、カイユボットの父親はパリの南東にある緑豊かな渓谷イエールの土地を購入した。
若いカイユボットはその地所の周りの19世紀初頭風の公園や向こうに広がる丘々をすぐに気に入った。
イエールの風景はプティ=ジャンヌヴィリエの庭と共に画家の作品の中によく描かれるようになる。
カイユボットは「イエールの谷」の中で、谷のパターン化された風景を描くためにパステルを重ねた。
この画家の初期の風景画によく見られるように地平線を高い位置に持ってきて、大胆で近代的な表現をすることで19世紀末の風景画にありがちな表現を避けている。
ピエール・ウィットマーはカイユボットにおけるイエールの重要性をこのように述べている。
「イエール川はその地理と名景によって、モネにとってのエプトやセザンヌにとってのサント・ヴィクトワールと同じくらいカイユボットにとって重要な場所であった。画家は自分の世界の現実性を自分のニーズに合わせている。ギュスターヴ・カイユボットは自分の過ごした土地に新しく、オリジナリティがあり、そして全く個人的な側面を与えたのだ。田舎の生活はその永続的に繰り返され、そして常に過ぎゆく日々や四季のリズムを感じさせる自然を思い起こさせる。 (P. Wittmer, op. cit., p. 28).」
「イエールの谷」は1879年の第4回印象派展に出展されました。開催場所はオペラ通り28番地で、カイユボット、ドガ、モネ、ピサロといった独創性に富んだ作品が出された。カイユボットは第4回印象派展の組織の重要な役割を担っていた。
以前にクリスティーズで売りに出されていた「牡蠣の静物画」についての翻訳をお届けしましたが
先日サザビーズでも「モンソー公園」のオークションがあったようなのでまた翻訳してみました。
過去に取り扱われた作品もそれなりにあるし、また読んでみなくっちゃ!!
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翻訳中の「図」については元ページをご覧下さい。
それではレッツ!
【由来】
パリ、オテル・デュルオの1877年5月28日の印象派作品売却にて。ロットナンバー4。
ロンドンのDudley Toothが1960年代に購入。
1972年現在の所有者に渡る。
落札予想価格:?800,000 – ?1,000,000 (7千万円〜1億4000万円)
販売価格:?2,617,250(3億6千万円)
〜中略(文献)〜
【作品について】
この作品は、ミロメニル通りのカイユボットの家にほど近い、パリ8区にあるモンソー公園(図2)を描いたとされるたった2枚の作品のうちの1枚だ。
こちらの作品ではカイユボットは、短く素早い筆致を使うことで青々とした下草を表現し、低木やベンチの周りの光と影の動きを研究し、明るい春の日の公園を描いた。
モンソー公園はオルレアン公の命令によって18世紀後半の英国庭園の様式で設計された公園だ。
元々は個人の私庭だったがオスマン男爵の下の公の公園に変わり、1861年に市民に一般公開された。
ロンドン王立美術館の大回顧展によって「都会の印象派」と名付けられたカイユボットは「公園」に自然と都会への愛好を結びつけるような素晴らしい主題を見いだしたのだ。
ジュリア・サグレイヴスはカイユボットとモネ(図3)の両作品についてこのように書いている。
「カイユボットとその友人モネは同時期にサン・ラザール駅周辺を描き、発表した。二人は、”市民公園\\\\”とりわけモンソー公園というサン・ラザール駅とはまた全く違う種類の近代都市風景への関心を共有しているようにも見える。この公園はカイユボットが1870年代を主に過ごした家からほど近くにあり、元々は18世紀に私的な一風変わった庭として設計されたものだ。フランス革命の間には政府の所有物だと宣言されたのだが、全体的に荒廃し使われなくなりながら約10年間個人の所有で有り続けた。第二帝政の間に政府がそれをきちんと取り戻し修復をして、モンソー公園は”パリのもっとも魅力的な散歩道のひとつ”になったのである。(J. Sagraves in Gustave Caillebotte: The Unknown Impressionist (exhibition catalogue), op. cit., p. 81)」
1870年代を通して、カイユボットとモネはしばしば似たような主題、特にパリとそれを取り巻くものを描いた。
実家が裕福であったカイユボットはこの間モネに経済的援助をし、またいくつかのモネの作品を購入し、コレクションしていった。
ジュリアはこの作品について「筆遣いや構図はモネを思い起こさせる。しかしカイユボットの描写は、モネが描いた公園の光景というよりも、当時カイユボットが所有していた”アパートの室内(図4)”に似ている。両作品には広く平坦な通路(公園の歩道・床)、前面への急な傾斜、作品の中央の断ち落としが見られる。また両作品の通路の終わりには孤独で、妙に小さく、ぼんやりとした人物が植物に覆われ、ほぼ埋められるように立っている。カイユボットはこのようにモンソー公園を描くことで、家の近くにある公園と快適でもあり不吉な感じでもあるプライベートな内面空間をなぞらえたのだ。 (ibid., p. 81)」と述べている。
ファッショナブルな衣服をまとった男女や子供のいるモンソー公園の社会的な側面を描いた(図3)モネと違って、カイユボットは緩やかなカーブの歩道を中心に置きその上に覆うように青々とした下草を描くことで、殆ど内面の幻影であるかのような公園のより孤独な面を表現した。
植物や木々が慎重に描かれていると同時に、こちらに向かって歩いてくる小さな男性の人影を圧倒し、構図を支配している。
大ざっぱで数少ない筆で描かれているが、男性はグレーのスーツと帽子をかぶったパリ紳士と分かる。
さらに、注意深く配置された低木や芝小道や規則正しく配置されたベンチは、都市の雰囲気を醸しだし、同時に力強くダイナミックな構図を作り出している。
フランスの方から「カイユボットのこと、ニュースになってたけど知ってる?」と情報をいただきました。
ななな何と心の優しい方なんでしょう!Merci, Bien!
その方の情報と、情報に書いてあった「ouest-france(西仏新聞)」の情報などを元に話を総合(と想像)すると
Caillebotte et Bayeux : une histoire de famille – Bayeux
(カイユボットとバイユー:バイユーの家族の歴史)
写真右側の女性Dominique Bussillet(ドメニク・ビジエ)が2010年3月に本を出したそうです。
タイトルは[Maupassant et l’univers de Caillebotte(モーパッサンとカイユボットの世界)]。
その関係で、カイユボットの子孫と対面したというニュースなんだと思います。
————————————
左の男性がそのカイユボットの子孫、 François Chaplain(フランソワ・シャプラン)氏。
カイユボットの従妹のゾエのお孫さんでフランス北西部のバイユーに住んでいるそうです。
カイユボットはゾエがバイユーの男性と結婚をした時に、自身の作品を三枚プレゼントしたのだそうです。
一枚目は「田舎の肖像」、現在バイユーの美術館が所有しています。
二枚目はフランソワさんの兄弟が所有していたそうですが1997年に売却。
もう一枚がこのフランソワさんが所有している「アルジャントゥイユの風景」、写真の背景に映っている作品です。
「田舎の肖像」に描かれている4人の女性は、ゾエの娘のスザンヌが「田舎の肖像」のポストカードに残したメモによって判明しています。
————————————
うーん、カイユボットの子孫か!
カイユボットとモーパッサンはボート仲間でした。
ドメニクさんの本には二人の交友とか二人の作品の共通点なんかが書かれているのでしょうか??
売却されたのはどの作品なんでしょうか。
願わくばゾエちゃんが描かれた作品だったらいいなと思いますけど!
カイユボットの作品を一番多く所有している国は、ほとんど一生を過ごしたフランスです。
その次はアメリカ。
例えば、「パリの通り、雨」はシカゴ美術研究所 (Chicago, The Art Institute)が所有しています。
そんな中、なんとイスラエルにも!
「冬の風景」イスラエル美術館
イスラエル?まっさかーと思ったら、ちゃんと、HPにものっているんですよ。
[ニューヨークのリチャード=ロジン夫妻から、イスラエル美術館の米国友人に寄贈]だそうです。
雪の降らないだろうイスラエルにカイユボットの「雪の風景」。
意外ながらなかなか趣深いモノがあります。
ちなみに、日本にもあるんですよ。
私個人が確認できているものでは1点。(2012/03時点で2点)
よかったら「作品検索」で検索してみて下さいナ!
久しぶりに、オルセー美術館所有のカイユボット作品をチェックしていたところ、
なんと、収蔵作品が増えていました!
一覧はこちらから検索できます(オルセー美術館/英語)(C-caillebotteで検索して下さい)
もともと持っていたのは
「床のかんなかけ」
「アルジャントゥイユのヨット」
「自画像」
「雪の屋根」
「アンリ=コルディエの肖像」
でした。
※「Attelage de boeufs」はどれのことやら不明
何年に来たのかは分かりませんが、新たに
「水浴者」
がアジャンのエコールデボザール美術館から、
「カフェにて」
がルーアンのボザール美術館から
加わったみたいですね!
もしかしたら、オルセーが本気でカイユボット作品の収蔵を始めたんじゃないですか!?
だとしたら、とても楽しみです!
※今国立新美術館で開催中の「オルセー美術館展2010」には
カイユボットの作品はきていないようです。んー残念。
お久しぶりです。
久々のカイユボット情報。
どうも英語が私を苦しめている気がしてならない・・・しばらく日本語のみにしてみようと思います。
そしてですが、
愛知県の名古屋市美術館で現在開催中の「絵画と写真の交差 ―印象派誕生の軌跡―」にてカイユボットの絵画が一点表示されています。
詳細は今週中に書きますね。トゥルーヴィルの風景の作品です。
私の持っている資料では「所蔵:不明」となっていたのですが、現在東京富士美術館が所蔵している模様!
うーん、大発見です。
2009年12月20日(日)までですのでお近くの方は是非いってみてください^0^ノ
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そうそう、カイユボットの最初の遺書には、後日談があるのです。
ルノワールがカイユボットの遺産の中から一点好きな絵をもらうことになり、このドガのパステル画、「踊りの稽古/ダンスのレッスン」を選びました。
しかし1898年、こともあろうにルノワールは譲り受けた作品をデュラン=リュエルに売却してしまったのです。
ドガはこのことに大変怒り(私がドガでも怒るなー・・・)、、ドガとルノワールは不仲になったといわれています。
って、あまりこのましくない後日談でしたね。
アンブロワーズ・ヴォラールは有名な美術商で、カイユボットも知り合いだったであろうと思われます。
「ナポリ付近の運河のほとり」はいつどのようにかわかりませんが、ヴォラール氏が所有していました。
しかし、1940年競売にかけられてしまいます。
1939年にヴォラール氏が自動車の事故で亡くなったときに、彼の遺産が兄弟や愛人に分配されらとのことなので、その時この作品も彼らのうちの誰かに渡ってのちか、または現金として分配するために競売にかけられたのかもしれません。
その後も何度か競売にかけられ、現在はカリフォルニアにあるようです。