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ブリヂストン美術館がカイユボットの《イエールの平原》を新所蔵&展示
2015-02-21ランダム表示
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生涯結婚をしなかったカイユボットでしたが、晩年は恋人ともいえる女性がいたようです。
彼女の名はシャルロット=ベルティエ。
ルノワールが彼女の肖像画を描いています。
おそらく中流家庭の出身だということですが、若い女の人で、カイユボットが亡くなった時、シャルロットはまだ31歳でした。
カイユボットとの年の差。。。14歳・・・がぼーん。
しかし、彼女については謎が多いんです。
まず、シャルロット=ベルティエという名前が本名ではない・・・。
本名はアン=マリー=ハガン。
本名じゃないってなんなのさ。。。
何故カイユボットはシャルロットと呼んでいたのかしら?
いつ頃どうやってカイユボットと出会ったのかも定かではありません。
1883年にはその遺言で彼女に120,000フランを残しているので、それ以前に出会ったといえるでしょう。
プティ=ジャンヌヴィリエに引っ越したのが1882年なので、そこで出会ったのかもしれませんね。
また1889年にプティ=ジャンヌヴィリエのシャルロットに家を残す遺言を残しており、
実際にこれらの遺言は執行されたそうです。
1891年の記録に彼女の名前は記載されており、カイユボット自身も彼女とプティ=ジャンヌヴィリエの庭を一緒に描いた絵を残しています。
シャルロットに関してわかっていることはこれだけです。
カイユボットは何故彼女と結婚しなかったのでしょうか?
結婚という形式が好きではなかったのか、
自分の命がそれほど長くないことがわかっていてしなかったのか、
うーん、まさかシャルロットの素性があやしかったからという訳じゃないですよね・・・?
カイユボットが描いたシャルロット
|ピエール=オーギュスト=ルノワール(Auguste Renoir)|マドモアゼル シャルロット=ベルティエ (Mlle Charlotte Berthier)|1883|ワシントンナショナルギャラリー(National Gallery of Art, Washington, DC)|
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