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ゴッホ展のカイユボット作品(ゴッホ美術館所有)

現在開催中の、「没後120年 ゴッホ展-こうして私はゴッホになった-」にカイユボットの作品も一点展示されているそうです(^o^)ノ
(情報ありがとうございますmm)


展示されている作品は、これ!

バルコニーを通してみた眺め」です。

1880年に描かれた作品で、カイユボットが当時住んでいたパリのアパルトマンから オスマン大通りをバルコニーの鉄柵を通してみたというおもしろい作品です。

この作品を所有しているオランダのゴッホ美術館のサイトにこの作品についての解説があったので訳してみました。ページはこちらから >>

screenshot_08.jpgギュスターヴ・カイユボットはこの作品の中でバルコニーの装飾的にカーブした鉄柵を通してパリのオスマン大通りを描いています。
この視点からの描写は非常に独創的です。
鉄柵に焦点を当てる一方、通り過ぎる馬車や看板のある広告柱は背景のもやっとしたシミにすぎません。
色調はあまりなく、黒色が沢山の灰色の陰影と対照をなしています。
カイユボットは間違いなく浮世絵にインスパイアされてこの作品を描いたのでしょう(浮世絵はよく意外な視点とトリミングで描かれています)。
同時代のドガやゴッホのように、カイユボットは日本の驚くべき構図に魅せられて、その特有の視覚要素を作品に取り込みました。

*この作品はバンクギロ基金、バーンハード王子基金によるレンブラントアソシエーション、VSB財団、モンドリアン財団、およびヴィンセント・ヴァン・ゴッホ財団の資金援助によって購入されました。




ゴッホ美術館のサイトを見ると、ちゃんといついつまで日本で展示されています、という情報が書いてあるんですよ。
世界中からそこにある作品目当てでやってくる人がいるわけですから、そういう情報って大事ですよねー。

そんなゴッホ美術館からやってきたカイユボットの作品、
東京の後は二都市を巡回予定だそうなので、お近くの方は是非足を運んでみて下さーい。

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東京 2010年10月1日〜12月20日 国立新美術館
福岡 2011年1月1日〜2月13日 九州国立博物館
名古屋 2011年2月22日〜4月10日 名古屋市美術館
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カイユボットの従妹の孫

フランスの方から「カイユボットのこと、ニュースになってたけど知ってる?」と情報をいただきました。
ななな何と心の優しい方なんでしょう!Merci, Bien!

その方の情報と、情報に書いてあった「ouest-france(西仏新聞)」の情報などを元に話を総合(と想像)すると

Caillebotte et Bayeux : une histoire de famille – Bayeux
(カイユボットとバイユー:バイユーの家族の歴史)



写真右側の女性Dominique Bussillet(ドメニク・ビジエ)が2010年3月に本を出したそうです。
タイトルは[Maupassant et l’univers de Caillebotte(モーパッサンとカイユボットの世界)]。
その関係で、カイユボットの子孫と対面したというニュースなんだと思います。

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左の男性がそのカイユボットの子孫、 François Chaplain(フランソワ・シャプラン)氏。
カイユボットの従妹のゾエのお孫さんでフランス北西部のバイユーに住んでいるそうです。

カイユボットはゾエがバイユーの男性と結婚をした時に、自身の作品を三枚プレゼントしたのだそうです。

一枚目は「田舎の肖像」、現在バイユーの美術館が所有しています。


二枚目はフランソワさんの兄弟が所有していたそうですが1997年に売却。

もう一枚がこのフランソワさんが所有している「アルジャントゥイユの風景」、写真の背景に映っている作品です。


「田舎の肖像」に描かれている4人の女性は、ゾエの娘のスザンヌが「田舎の肖像」のポストカードに残したメモによって判明しています。

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うーん、カイユボットの子孫か!

カイユボットとモーパッサンはボート仲間でした。
ドメニクさんの本には二人の交友とか二人の作品の共通点なんかが書かれているのでしょうか??

売却されたのはどの作品なんでしょうか。
願わくばゾエちゃんが描かれた作品だったらいいなと思いますけど!

洗礼の記録

カイユボットが洗礼を受けた時のパリ5区の記録の訳です。
生まれたのは19日、洗礼を受けたのが21日です。

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セーヌ県の1848年の出生記録

8月21日、午前10時

出生、ギュスターヴ、男児、今月19日、フォブール=サン=ドニ通り160番地の両親の家にて午後3時20分。

父親マルシャルは49歳、軍の寝具請負業。妻セレステ=ドーフレヌ=カイユボット28歳、主婦。
子供の調査と報告は父親によって行われた。
パリの5区の区長と、軍の寝具請負会社の経営者であり会社の前述の物件に住むジャン=ギュスターヴ=ラコステ44歳と、会社に勤め、同地に住むピエール-ルイ=ラヴィエール49歳、これらの者がその記録を確認し、私の前で署名をした。

M.カイユボット、ラコステ、ラヴィエール、区長ヴェ

記録より公式複写
1857年9月24日 パリ
第5区区長
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発見!消えたl’Île Marande => Marante

カイユボットはいくつかの「l’Île Marande マランデ島」というタイトルの風景画を描いています。
でもずーっとそのマランデ島のある場所がわかりませんでした。

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と、思ったら「Maran’te’島」であることが発覚!
(でも、、本にMarandeって書いてあったの)
Maranteで検索したら、あっという間に見つかりました。
住所だって「Parc Ile Marante」・・・
場所は、以下のあたりで間違い無しです。
(2011/04/05)
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マランデ島の描かれた作品はこちら


セーヌ川とマランデ島の先端

Google先生に聞いても、有力な情報はヒットしません。

作品からわかる情報は


そこでセーヌ川を河口からくまなく探したのですが、見つかりません。

もうひとつ

これは重要な情報です!
ブゾン橋はカイユボットが晩年住んでいたプティ=ジャンヌヴィリエから少し行った所にある橋です!

するとブゾン橋の近くにサン=マルタン島があるではありませんか!
サン=マルタン島はマランデ島なのでしょうか!?

しかしサン=マルタン島が改名した?という情報もみつからず、
もしや場所の名前ではないのかも?と思い
フランス人に聞いたらなんとか知っているだろうかと拙い英語でメールを書き掛けておりましたが、、、

先日、
なんと、
マランデ島、発見☆



1898年の地図に存在していました。
どうやら近年の工業化で埋め立てられてしまったようです。
※島の大きさは不明です。上図の点線よりは小さいかも。

建物はなくなるけど風景は変わらない、とすっかり思い込んでしまって、反省です。

今はもうカイユボットと同じ風景を見ることは出来ないのですね。
いつかブゾン橋に行って後地に出来たと思われるParc Departemental Pierre Lagravereでも眺めようっと。

2010-09-15 足跡 Comment

イエールの菜園

この作品はカイユボット家の別荘のにある菜園の様子です。


庭師たち

カイユボット家はここで4人の庭師たちを雇っていました。
彼らは青色の作業着を着て、裸足で作業をしています。

pot.jpg これはガラスでできた苗を覆う「苗帽子」なるものです。
苗を強風や急激な温度変化、外敵などから守る小さな温室といったところでしょうか。
クレーポットを挟んで隙間をあけてあるようです。
左手にあるのも苗帽子かもしれませんね。


bord.jpg画面奥にある白い屋根上の物ははじめ「小さな温室」かと思ったのですが、
こちらは斜めに立てかけた日よけのようです。


こちらの場面も同じ菜園の別場面。


イエールの菜園

真ん中にあるくぼみの中には水がためられていて、
水くみに利用できるようになっているそうです。
庭師たちもここの水をじょうろにくんで苗に水をやっているのかもしれませんね^o^

こちらの絵は庭が左右対称に描かれていて、庭の幾何学的な一面をクローズアップしています。

これは斬新な作品だわい!

実は今まで「カイユボットの構図は斬新だ」という意見は何度も目にしていたけれど、
お恥ずかしながらどうもそこまでピンと来ていませんでした^^;

ところが「印象派 (岩波世界の美術) 」の中に
カイユボットの「パリの街角、雨」と、ジャン=ベローの「The Church of Saint-Philippe-du-Roule, Paris(パリ、サン・フィリップ・デュ・ルール教会)」が並んで比べられておりまして、ホントびっくり!!
あらまぁ確かになんて斬新な作品なんでしょう!!!!(遅






確かに実際そこにいたらこのように見えるであろうパリの眺めのジャン=ベローに比べたら、
カイユボットの作品のなんと斬新なこと。
まさに衝撃ですよ!
(もちろん、私ジャン=ベローの絵は大好きですし、どちらがいいとか悪いとかそういう話ではないですけれども。)
その斬新さは「新しいパリ」「構図と遠近法」に集約できると思います。


///////////// 新しいパリ /////////////
・新しいパリの街角という主題
この頃のパリは、時のオスマン知事によって汚らしい街から近代的な街に生まれ変わろうとしていました。
カイユボットは「ヨーロッパ橋」でもその当時できた駅近くの鉄橋を描いているように、
近代化していくパリの街に非常に興味を持っていました。

どこか砂埃感のあるジャン=ベローのパリに比べて、
すべての道路が舗装されたカイユボットの作品からは、「パリ大改造」の最先端な感じが漂っています。
カイユボットの作品と、ジャン=ベローの作品に同じ形の外灯があるのがまたおもしろいですね。

カイユボットの作品を見た当時の人はその新しい主題に驚いたのではないでしょうか。


///////////// 構図と遠近法 /////////////
・手前の人物を切り取った思い切った構図
描かれている全ての人々が頭の先から足の先まで描かれているジャン=ベローの作品と、
手前の人物の足元や、右端の人物の半身を思い切ってトリミングしているカイユボットの作品。
大胆なトリミングによって、鑑賞者の視点は手前の人物と同じ高さになり、さらに作品に近づくことになります。
それはまるで傘を差している男女のすぐ前を「歩いている」かのように思えるでしょう。


・空間の広がり
折り重なった有象無象の人の流れを描いたジャン=ベロー。
一方カイユボットの人物はそれぞれが適度な距離を保ち点在しています。
このことは視線を奥の方まで連れて行くことになり、より広がりを感じさせます。

そして人々が行き交う往来で、人影が重なっていない、というのはありえなくはないけど実際にはなかなか難しい状況です。
鑑賞者は、ちょっとした異空間を感じるのかもしれません。

また広がり感を演出するものの一つとして、「空」があげられるでしょう。
そして空があることの副産物として、建物の形が強調され、この作品のおもしろさに一役買っています。


・大胆な遠近法
ジャン=ベローの作品では視線が馬車の背中で止まってしまいその先には行きにくいですが、
カイユボットの作品では、前方の建物の左右二つにある消失点、そして広場や重なりのない人影がより我々の視線をこの作品の中に引き込んでいきます。

二つの消失点の他にも、道路、建物の屋根、街灯、人などたくさんの直線をこの作品の中に見つけることが出来ます。
たくさんの直線の中で雨傘の半円が作品に入ることで、この絵画によいアクセントを加えています。
ご存じの通り、雨や雨傘を描いた絵画というのはさほど多くありません。
その中で雨傘をささせたカイユボットの着眼点もよいですね。




以前「雨の日の「パリの通り、雨」」でこの作品に雨脚を描き足してみましたが
雨が降っていると広がり感はかなり無くなってしまいます。

なぜカイユボットが雨脚を描かなかったのか、についてはいろいろ考えられると思いますが、
違うものを優先させたかった、というのが一番大きな理由だと私は考えております。


さて、みなさまのご意見はいかがでしょうか。
この作品は掘り下げればこの一枚だけで様々な主題の論文が書けそうで、とても興味深く思います。

ユイスマンの「近代芸術」における「室内、窓辺の女性」評

ユイスマンが1883年に出版した「近代芸術」(美術評論集)の中で
室内、窓辺の女性」について述べています。

窓辺に立つ女性は我々に背中を向けており、肘掛け椅子に座っている男性は横顔を見せ、彼女の側で新聞を読んでいる。それだけである。しかし、この絵の本当に素晴らしいところは、この率直さであり、この生活風景であるのだ。
通りを眺めているこの女性は息づいている。濃い青の見事なビロードに包まれた彼女の腰づかいは動いているように見える。もしあなたが彼女に指で触れたなら、彼女はあくびをし、振り向いて、記事にはあまり関心がないような上の空の夫と、空虚な言葉を交わすだろう。
これは現代生活の時を止めた瞬間である。この夫婦は人生によく起こる倦怠期にある。裕福な中流階級の家庭の雰囲気がインテリアから漂っている。大金持ちではなくとも好きなものを手に入れることができ、ラファイエット通りやオスマン大通りの近くに住む財界や実業家界のブルジョアジーのくつろいだ時間をカイユボットは描くのである。
この作品の手法については、単純で地味であり、ほとんど古典的と言える。踊るような筆遣いも、目を見張らせるような演出もなく、ほのめかしに満ちているということもない。しかし、いかなる欠点もないのだ。


以下の本より引用
書籍名 / title:印象派全史  1863‐今日まで 巨匠たちの素顔と作品
著者 / author:バーナード・デンバー編著 池上忠治監訳
出版 / publisher: 日本経済新聞出版社(1994年)


「近代都市生活の一コマ」というのは本当にカイユボットならではのテーマですよね。
最近こういうことについていろいろ考えてるんですけど、素人なものですからなかなか考えがまとまらなくて^^;
もっとこういう論評を読んで勉強したいと思っています。

1880年代の女性たちとクリノリン(バッスル)


化粧台の前の女

今まであまり深く考えず、この女性は単に「スカートを着よう(または脱ごう)としているところ」なんだと思っていましたが、
そうではなくて「クリノリンを付けている(または外している)ところ」なのだそうです。
※本にクリノリンと書いてあったけど正確にはその一種であるバッスルなのかも。(2010/08/08追記)

クリノリンとは女性のスカートをふくらませるための道具でした。
この作品が描かれた頃のクリノリンはかつてほど全体にふくらませず
腰の後ろを盛り上げるタイプのものになっていたようです。
クリノリンバッスル(Wikipedia)


カイユボットが描いた他の作品の女性たちを見てみましょう。


彼女たちもこれを付けているのでしょうか?
いずれにしてもこの時代は腰の後ろが盛り上がっている形のスカートが主流だったのですね。

左から
室内、窓辺の女性」1880年
坂道」1880年頃
バラ園、プティ=ジャンヌヴィリエの庭」1886年頃


最初に制作年の入れられた作品



この「ソファに横たわる裸婦」はカイユボットが作品中に一番初めに「制作年」を入れた作品です。
それまでもサインを入れていたことはありましたが、制作年までは入れたことはありませんでした。

ちょっと見切れちゃってますけど(画像の取り直しをしないとね)
※取り直しをいたしました。2010/08/03
右下の床の上にG.Caillebotte< 改行 >1873とサインされています。

1873年はエコール=デ=ボザールに入学した年です。

制作年を入れたのは学校の影響があったのでしょうか。
それとも心境の変化があったのでしょうか。


カイユボットはこの約7〜8年後にも「ソファーに横たわる裸婦」と同じようなシチュエーションで油彩画を描いています。


「カウチの裸婦」

ちなみにこちらは名前のみ入っています。

雨の日の「パリの通り、雨」

梅雨ですね、梅雨。いうなれば日本の雨期でございます。

雨の日といえば「パリの通り、雨」です。
雨なのに雨足が描かれていないといわれる作品ですので、簡単に雨足を描き足してみました。
(ちょっとたぶん実際より降らせすぎと思います。)



これはまた違う雰囲気になりましたね!

↓は加工前の画像です。


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