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ブリヂストン美術館がカイユボットの《イエールの平原》を新所蔵&展示
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画像など詳細不明
財産目録:セザンヌによるキャンバス「釣り人」
ギュスターヴ=ジェフロワの目録:人影の集まり、水辺に座ったりもたれかかったりしている
美術館への遺贈:記載なし
水浴者たち、1875/1876
キャンバスに油彩、382×101cm
アメリカ、メリオン、Barnes Foundation
財産目録:金色の額縁にはいったセザンヌによる作品、「水浴者たち」
ギュスターヴ=ジェフロワの目録:セザンヌによるもっとも有名な作品のひとつ、青色と白色、美しいファイアンス焼きのように堅く彩色されている。裸体と岩と雲の風景。
美術館への遺贈:記載なし
1881/1/24、第六回印象派展の開催前にピサロに宛てて送った長文の手紙です。
カイユボットは印象派展の運営を巡ってはしばしばドガと対立していました。特にドガが引き連れてきたラファエリは、彼の目にはむしろアカデミックに写ったようです。
しかしずいぶんドガのことをたたいていますね(-▼-;)
書いているうちにヒートアップしてしまったのかもしれません・・・。
けど、この手紙を受け取ったピサロは逆にドガの肩を持ちました。
この長ったらしい手紙が原因だったりしてw。カイユボットうざ!とか思って。
ラ・クルティーユの追憶と哀悼、制作年不明
ペンに水彩、31×21cm
個人蔵
財産目録:ガヴァルニーによるドローイング「ラ・クルティーユの追憶と哀悼」
ギュスターヴ=ジェフロワの目録:記載なし
美術館への遺贈:記載なし
風景(制作年不明)
ペンに水彩、17×20cm
ルーブル美術館グラフィックアート部,オルセー美術館基金(RF4020)
財産目録:ミレイによるデッサン「風景画」
ギュスターヴ=ジェフロワの目録:水彩画
遺贈時の名前:風景(Paysage, watercolor)
美術館への遺贈:許可★
男と手押し車(c.1855)
鉛筆、29×21cm
ルーブル美術館グラフィックアート部,オルセー美術館基金(RF4019)
財産目録:ミレイによるデッサン「百姓と手押し車」
ギュスターヴ=ジェフロワの目録:鉛筆デッサン
遺贈時の名前:男と手押し車(鉛筆)(L’homme a la brouette, drawing)
美術館への遺贈:許可★
最後の遺言補足です。
シャルロット=ベルティエというカイユボットの恋人に自分の家を残すことにしました。
実際にこの遺言は実際に執行されたそうです。
ルース氏はボートデザイナーでした。
* *
私は、上記のすべての条項を維持します。
加えて、シャルロット=ベルティエ嬢に私が所有するプティ=ジャンヌヴィリエの家を譲ります。
この家は現在ルース氏に貸しているが、すべての相続動産税が掛からないものとする。
1889年11月5日プティ=ジャンヌヴィリエにて
風呂から上がる女(1876/77)
パステル、16×21cm
パリ、オルセー美術館(RF12255)
財産目録:ドガのによるパステル、「浴室」
ギュスターヴ=ジェフロワの目録:風呂から上がる女。メイドがバスローブで彼女を覆おうとしている。
遺贈時の名前:風呂から上がる女(Femme sortant du bain)
美術館への遺贈:許可★
夕暮れのカフェテラスの女性達(1877)
パステル、41×60cm
パリ、オルセー美術館(RF12257)
財産目録:ドガの大通りのカフェのドローイング
ギュスターヴ=ジェフロワの目録:4人の女性が誘いを待つ喫茶店。4人のお嬢さん達は衰えた体で疲れてやつれている。
二人は非常に表現力豊かな身振りの対話をしている。けだるさの中の内緒話、ひとりは親指で歯を押し上げ、もう一人は「そうじゃないのよ!」といっている。
素晴らしい支配を与えられたパリの1コマですが同時に滑稽で哀れです。
後ろの鏡には大通りの風景が映し出されている。
遺贈時の名前:カフェ、モンマルトル大通り(Un Cafe Boulevard de Montmartre)
美術館への遺贈:許可★
カイユボットの絵はよく「広角レンズでとらえたような」といういい方をされていて、
実際にKirk=Varnedoeというアメリカの学芸員の方がカイユボットの作品の通りの写真を撮って研究をされてます。
#興味のある人は是非手に取ってみてください♪
#かなり難しいけど、みてるだけでもおもしろいので。
しかし、おもしろいことに、カイユボット自身が自分の作品の構図のために
写真を撮ったという記録は(少なくとも私の知る範囲では)残っていないのです。
デッサンは残っていますが、写真はないんですよ。
カイユボットの弟のマルシャルが写真を撮るのが好きだったので、
もちろんカイユボットも撮ったことはあると思うのですが、
彼は撮った写真をそのまま倣って絵にするようなことはしませんでした。
最近ちょっと違うかな〜、と思っています。
写真は残っていないけれどもかなり参考にしていたんではないかと考えています。(2010/08/13)
彼はジャポニズムの影響があったにしても
「ファインダーで切り取る」という感覚が非常に優れていたと思います。
ね?
彼の風景をとらえる「眼」そのものが、レンズに近かったのかもしれませんね。
また非常に個人的な意見ですが、
こうして風景をレンズで見るかのような客観的な感覚を持っていたからこそ
カイユボットは、アカデミーや世間の評価に左右されることなく、
印象派の良さを理解し支援できたのだ、と私は思っています。