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ブリヂストン美術館がカイユボットの《イエールの平原》を新所蔵&展示
2015-02-21ランダム表示
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この絵はエドゥアール=マネの「オランピア」です。
マネが1883年に亡くなったとき、この作品は買い手がつかず、アメリカに売られるところだったのをモネが募金を募って国外流出を防ぎました。
(※追記:国外流出を防ぐ84年の競売会に参加したカイユボットはバルコニーを3000フランで購入。マネの遺族は多くの作品を買い戻すことができた。その後1890年にオランピアを国家に寄贈するための出資金(未亡人からの買取金など)のお金が以下の話です。08/10/04)
その募金の醵金者リストにカイユボットの名もあったそうです。
募金した金額については今のところ不明。
※2008/7/25追記
1890年マネがカイユボットに1000フラン募金してくれるように頼んでいるので、最低その金額だったと思います。
エドゥアール=マネ(Edouard Manet)|オランピア|1863|パリ、Musee d’Orsay
競馬(1865)
キャンバスに油彩、32×41cm
所在地不明。ルアールとウィルデンステインの1975年の著書を参照のこと。no.96。
財産目録:記載なし
ギュスターヴ=ジェフロワの目録:競走馬の小さな素描画
遺贈時の名前:記載なし
クローケーゲーム(1871)
キャンバスに油彩、47×73cm
所在地不明。ルアールとウィルデンステインの1975年の著書を参照のこと。no.173。
財産目録:金の額縁にはいったマネによる絵画「クローケー」
ギュスターヴ=ジェフロワの目録:サンタドレスで描かれたクローケーのゲーム。動かず静かな七人が描かれた気持ちのよい絵画。突風による大気の動きが身振りや帆や旗からわかる。
遺贈時の名前:クローケーゲーム(La partie de croquet)
美術館への遺贈:拒否
※クローケーとは、木製の球を木槌でうつゲームのことで、日本のゲートボールの元となった。
アンジェリーナ(1865)
キャンバスに油彩、92×73cm
パリ、オルセー美術館(RF3664)
財産目録:金の額縁にはいったマネによる絵画「扇子を持つ夫人」
ギュスターヴ=ジェフロワの目録;エネルギッシュで骨張りやつれた顔の黒い扇子を持つ女性の肖像。マネがスペインから帰国した期間。
遺贈時の名前:アンジェリーナ(Angelina)
美術館への遺贈:受理
バルコニー(1668/69)
キャンバスに油彩、170×124cm
パリ、オルセー美術館(RF2772)
財産目録:マネによる大きな絵画「バルコニーにて」
ギュスターヴ=ジェフロワの目録;応接間にあるバルコニーにて、暗い室内の前に男性一人、女性二人の三人が明るい光の中にいる。
夏の装い、シースルーの袖、美しい黒髪に白いドレス。バルコニー、緑の窓のシャッター。
遺贈時の名前:バルコニー(Le balcon)
美術館への遺贈:受理