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ブリヂストン美術館がカイユボットの《イエールの平原》を新所蔵&展示
2015-02-21ランダム表示
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パリとパリ近郊でカイユボットゆかりの地を巡ってきました。
カイユボットに限らず私は画家が絵を描いた場所に行くのが好きなのです*^^*
年代順にご紹介していきます。
カイユボットは1848年8月19日午後3時20分、パリの10区(当時の5区)フォブール=サン=ドニ(Faubourg-Saint-Denis)通り152番地(当時の160番地)で生まれました。
コレが現在の152, Rue Faubourg-Saint-Denisです。
場所は東駅と北駅の近く。
貸しインターネット屋さんになっていますが、どちらかというと雑多な地域です。
19世紀半ばはどんなところだったのかしら?
大きな地図で見る
父親が軍に寝具を卸したりする事業をしていました。
152番地に作業小屋などがあった記録があるのでこれは当時の建物ではないかもしれません。
(けどパリの建物ってどこからどこまでが1軒なんでしょう・・・?)
18歳に高級住宅街のミロメニル地域に引っ越すまで、ここで過ごしていました。
カイユボットはいくつかの「l’Île Marande マランデ島」というタイトルの風景画を描いています。
でもずーっとそのマランデ島のある場所がわかりませんでした。
マランデ島の描かれた作品はこちら
セーヌ川とマランデ島の先端
Google先生に聞いても、有力な情報はヒットしません。
作品からわかる情報は
モネが1883年から晩年まで住んでいたジヴェルニー。
睡蓮シリーズを描いたその場所は「モネの庭」としても有名です。
今日そのモネの庭について書かれた本を読んでいたら
どうやらカイユボットもこのジヴェルニーのモネの家によく訪れていたそうです。
モネが晩年住んでいた家
モネの庭にいったことあるのにー!
その時はまだそんなこと知らなくて!
知っていたら空気をもっとい〜〜っぱい吸ってきたのに!
悔やまれますぅ。。。
カイユボット自身も庭いじりが好きだったので情報や球根の交換とかしたかもしれないですね。
庭師たち 1877年