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ブリヂストン美術館がカイユボットの《イエールの平原》を新所蔵&展示
2015-02-21ランダム表示
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続いてカイユボットが生まれたフォブール=サン=ドニ通りの近く。
デュ=ガール(2Gare)通りとアルザス通りの角地にある土地。
当時その建物が何に使われていたかは分かりませんが、
今はホテルになっています。
となると建物もすっかり建て替えられているかもね。
普段のパリ観光に向く場所じゃないけど、東駅、北駅に近いのでどこかとパリを鉄道で行き来するような旅の時は利用してみてもいいかも。
お父さんがこのビルを所有したのは1871年。カイユボットが23歳の頃です。
前年におこった普仏戦争でカイユボット家はお金を儲けたのでその勢いで買ったビルかもしれません。
カイユボット自身は普仏戦争に招集され、1871年終戦の少し前に除隊しています。
この頃ナポレオンが退位し、パリ・コミューンが樹立するなどパリの政治は大揺れに揺れていました。
そういったことも関係したのかもしれませんが、カイユボットは、それまで志していた法律の道をあきらめ画家を目指すようになります。
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