カイユボット.net
ブログ

最新の記事

ランダム表示

Category Category Category Category Category Category

SIGHT ARTでカイユボット対談

音楽に詳しくない私でもその名を聞いたことがある「ロッキング・オン・ジャパン」さんが美術雑誌を刊行するとの情報をGET。
その特集の一つがなんとカイユボットだというではないですか。

=========
カイユボットを中心にオルセー美術館を観る
語り手=新畑泰秀(ブリヂストン美術館学芸課長)
=========

/////////////どんな内容?/////////////

カイユボットの印象派やその時代における立ち位置や、こうであったかもしれない彼の考え方や、人となりがかなり掘り下げられて対談形式で語られています。

・カイユボットを単なる「お金持ちで印象派展開催に尽力した画家」像で述べるのではなく、もっと泥臭く迫っているところ
・“蒐集家”でも“パトロン”でも“経済的に援助した”でもなく“スポンサー”という現代の我々にとってもっともわかりやすい単語で説明をしているところ

など
印象派の作品を買ってオルセーに遺贈したことも知っている、カイユボットの作品も知っている、時々印象派に関する本でカイユボットに関する逸話も読んだことある、でもカイユボットがどういう人物なのかイマイチぴんとこない」という方にはすごくしっくりくる内容なのでは。

この対談を読んでいて、
「片方がカイユボット展を開催したブリヂストン美術館の新畑さんというのはわかるんだけど、もう一人のこのインタビュアー、美術雑誌のインタビュアーにしては変わっているなぁ・・・。なんかこう前へ前へぐいぐい来るなぁ?」と思って「聞き手」をみてみたら、
なんと渋谷陽一って書いてあるじゃないですか。

はい、ロッキング・オン・ジャパンの社長さん。

ちなみに北斎の聞き手も北野武さんの聞き手も渋谷氏です(笑)


//////カイユボットは印象派の絵を見て「こりゃすげえ!これは俺の絵と全然違う」と思ったのか?

対談は色々興味深かったのですが、全部書いていると長くなってしまうので一点だけ!

渋谷氏は雑誌の中で「(カイユボットがどちらかというとアカデミズムな絵を描いていたので)「それが印象派を見たばっかりに「こりゃすげえ!これは俺の絵と全然違うし、どう考えてもこっちの方がカッコいい」ってなって。」と語っています。(聞き手だけど)

ここは私は少し異なる見解をもっています。
といっても想像の域をでないですけど。

カイユボットの年表をおさらいすると
———————-
1872年(24歳) レオン・ボナの画塾に頻繁に通うようになる。
        通い始めたのはその前年とも前々年とも言われ、はっきりしません。
1873年(25歳) エコール・デ・ボザール(官立美術学校)に入学
1874年(26歳) 第一回印象派展を見に行ったかもしれない
1875年(27歳) サロン(官展)に「床の鉋掛け」を応募し、落選
1876年(28歳) 第二回印象派展に参加

———————-

サロン派のボナに習い、官立美術学校に通った(あまり通ってなかったみたいだけど)カイユボットは
印象派展に参加する前はカチッとした作品も描いていたけれども



必ずしもそればかりではなかったのではないでしょうか?
決してはじめからアカデミズムな画風ばかりを目指していたのではないのでは?


渋谷氏は印象派に出会う前のカイユボットの作品には“印象派的要素が無かった”と考えているようですが
私は持っていたと思うのです。
そしてそれまで耳にはしたことがあったであろう印象派作品を目の当たりにしたときに
「これはアカデミックとは別方向で、自分が描きたかったものを具象化した作品じゃないのか??」
と惹かれたのではないかしら?

・・・しかしカイユボットが印象派展に出品しだす前の作品はいずれも制作年がはっきりしていないので
説得力が全然ないのですが^^;


他に渋谷氏は
「(カイユボットが)印象派という動きにある意味、後付けで参入したっていうことが僕はすごく大きかった気がするんですよ。」「印象派が何かをこの人はわかっていた。」
と語っています。(聞き手だけどw)

ここは多いに賛同しますし、カイユボットを考える上で重要な考えだと思います。
カイユボットは持ち前の数学的思考で印象派の印象派たるものは何なのかというのがわかっていたのでしょうね。
こういう後付けで参入した=君たちの作品、理論、そして運動を支持する、それは間違いなく素晴らしいものだという意思表示であるわけですから印象派と呼ばれる人々は多いに励まされたと思います。



カイユボットが印象派的要素を元々持っていたにしても、持っていなかったにしても、カイユボットの作品は印象派展に出し続ける間は「どちらかと言えばアカデミズム」な作風を保っています。
これは「カイユボットが見つけた印象派に置ける立ち位置」だったのでしょうか?

そしてパリを離れ、画家ではなく造船技師や議員として過ごしていた頃は
「どちらかと言えば印象派」な画風の作品を多く描くようになっていました。
これもまたおもしろいですね。




////////////

その渋谷氏のブログ「渋谷陽一の「社長はつらいよ」」にもこのSIGHT ARTのことがでていました。
カイユボットを軸に、前衛的な芸術運動としての印象派を読み解く(2014.10.14)

わお、メインの北斎じゃなくてカイユボットを中心に推していらっしゃいます♪

はは、結局渋谷氏のお話ばかりになってしまいました。

2014-12-17 Comment

Comment

No comments yet.

Leave a comment


© Caillebotte.net All rights reserved