【ギュスターヴ=カイユボット・Gustave Caillebotte (1848-1894/フランス)】
父親がテキスタイルの仕事で成功。裕福な家庭の中で育つ。
22〜23歳頃まで法律を勉強していたが、画家を目指して当時の巨匠レオン=ボナのアトリエに通い、エコール=デ=ボザール(官立美術学校)に合格。
第一回印象派展の頃印象派の画家達と知り合うようになり、印象派の画家達の作品を購入するなど経済的な援助を行い、印象派展の開催にも尽力。特に第三回印象派展は後世の研究家達に「カイユボットの展覧会」と呼ばれるほどでもある。
1882年からはパリを離れ、セーヌ川沿いのプティ=ジャンヌヴィリエに居を移す。
そこでボートやガーデニングに熱中し、議員活動などを行い、絵を描くことも少なくなっていった。
自身のコレクションを国に寄贈すると遺言を残したが、その受け入れを巡って論争がおこった。
西暦 | 年齢 | |
1848 | 0 | パリに誕生。一家は裕福な家庭だった |
1857 | 9 | 14歳までリセ、ルイ=ル=グランに通う。 |
1870 | 22 |
法律免許を取得 普仏戦争に参加 レオン=ボナのアトリエに通うようなる(70年頃〜72年頃) |
1873 | 25 | エコール=デ=ボザールにボナの弟子として合格するが、ほとんど通っていなかった |
1874 | 26 | 父マルシャル死去、莫大な遺産を相続する |
1875 | 27 |
「床の鉋かけ」をサロン(官展)に出品し落選 |
1876 | 28 |
第二回印象派展に出品、「床の鉋かけ」他 弟が死去 最初の遺言状作成、自身のコレクションを国に遺贈すると決める |
1877 | 29 | ボートを始めるようになる
第三回印象派展に出品、「パリの通り、雨」他 |
1879 | 31 | 第四回印象派展に出品、「カヌー」 他 |
1880 | 32 | 第五回印象派展に出品、「室内」 他 |
1882 | 34 |
プティ=ジャンヌヴィリエに居を移す 第七回印象派展に出品、「トランプ遊び」「静物」他 |
1894 | - | 卒中で死去(享年45歳) |