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行ってきました(3)|モンソー公園

モンソー公園の話が出ましたので、モンソー公園を。

モンソー公園は、18世紀に出来たイギリス式の庭園で、地下鉄Monceau駅から歩いて行けます。
この公園を通り道にしてたくさんの人が歩いています。

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なぜか色々な遺跡風のものが点在。
ピラミッド、ローマのコリント式円柱、廃墟的な石碑など。
この庭園を造った人の趣味でしょうか??




カイユボットは1877年と78年頃にモンソー公園の描きました。

77年の方は公園の小道を。
これはタイトルがないとモンソー公園かどうか判断は難しいですね。

モンソー公園



構図は違うけど、こんな感じかなぁ?ベンチがあって遺跡が無くて。


78年頃のほうは遺跡があって、
根気があれば、どの場所だか特定できそう!

モンソー公園

今回は時間が無くて駄目だったけど、いつか特定してみたい。


この公園はモネも描いたことがあるそうです。

行ってきました(2)|青年時代の家

行ってきました第二弾。
本当は時系列的にはお父さんが別荘を買ったイエールが先なんですが、
飛んでミロメニル77番地の邸宅です。

カイユボットが18歳の頃、父マルシャルが当時できたばかりの高級住宅街に建てた家です。





ミロメニル通りとリスボン通りの角地にありましす。
ミロメニル通り側(写真右側)にはひとつの階につき7つの窓が、
リスボン通り側(写真左側)には5つの窓があります。

記録には4階建てで最上階は軒付で建てられたと記されています。
1階は使用人が使用しており、作業用の設備がありました。
2階は、作業部屋、小応接間、応接間、ダイニングルーム、オフィス、ビリヤードルームがあり、石階段で荷物用玄関の上にある室内用温室のある控え室に行けるようになっていました。
3階はそれぞれの部屋に化粧室があるベッドルームが6室と、ヒーター付のバスルームがあり、
4階には6人の使用人のベッドルームと様々な貯蔵室が、
中庭には荷物小屋と3台の馬車のための厩舎がありました。
すべての階に水道さらには温水、そしてガス、電導性の呼び鈴が行き渡っており、
それらの資産価値は土地を含め350,000フラン近くなのだそうです。


残念ながら1898年にだいぶ建て替えられてしまったとのことです。
今もきっとどなたかが住んでいるのでしょう。

ただ、カイユボットが住んでいたというプレートはあります。


—————-
GUSTAVE CAILLEBOTTE 1848-1894
MECENE DES IMPRESSIONNISTES ET ARTISTE-PEINTRE
A VECU ET TRAVAILLE ICI

ギュスターヴ カイユボット 1848-1894
印象派のパトロンであり画家
ここで暮らし、活動
—————-


この家にはカイユボットのアトリエがあったと考えられています。

ストーブのあるアトリエ

また他に何枚かこの家の中と思われる絵も描いています。


第二回印象派展に出展された「窓辺の若い男」。
モデルは弟のルネで、ミロメニル通り側の窓から外を眺めています。
この時は鉄柵ではなかったのですね。


同じく第二回印象派展に出展された「ピアノを弾く若い男」。
こちらはもう一人の弟マルシャルです。

さらにカイユボットの代表作の一つ「床の鉋かけ」もこの家だといわれています。




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この家で暮らしていた頃、カイユボットは印象派の仲間たちと出会い、
彼の代表作が生まれたのですねぇ。うんうん。

おすすめは地下鉄Monceau駅からモンソー公園を抜けて家を見学、
そのまま「ヨーロッパ橋」や「パリの通り:雨」の描かれた場所に向かうコースです♪


ちなみにジャン・ベローもこの家の絵を描いています

行ってきました(1)|カイユボットの生まれたところ

パリとパリ近郊でカイユボットゆかりの地を巡ってきました。

カイユボットに限らず私は画家が絵を描いた場所に行くのが好きなのです*^^*

年代順にご紹介していきます。

カイユボットは1848年8月19日午後3時20分、パリの10区(当時の5区)フォブール=サン=ドニ(Faubourg-Saint-Denis)通り152番地(当時の160番地)で生まれました。


コレが現在の152, Rue Faubourg-Saint-Denisです。
152faubourg-saint-denis.jpg


場所は東駅と北駅の近く。
貸しインターネット屋さんになっていますが、どちらかというと雑多な地域です。
19世紀半ばはどんなところだったのかしら?


大きな地図で見る

父親が軍に寝具を卸したりする事業をしていました。
152番地に作業小屋などがあった記録があるのでこれは当時の建物ではないかもしれません。
(けどパリの建物ってどこからどこまでが1軒なんでしょう・・・?)



18歳に高級住宅街のミロメニル地域に引っ越すまで、ここで過ごしていました。


発見!消えたl’Île Marande => Marante

カイユボットはいくつかの「l’Île Marande マランデ島」というタイトルの風景画を描いています。
でもずーっとそのマランデ島のある場所がわかりませんでした。

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と、思ったら「Maran’te’島」であることが発覚!
(でも、、本にMarandeって書いてあったの)
Maranteで検索したら、あっという間に見つかりました。
住所だって「Parc Ile Marante」・・・
場所は、以下のあたりで間違い無しです。
(2011/04/05)
ーーーーーーーー




マランデ島の描かれた作品はこちら


セーヌ川とマランデ島の先端

Google先生に聞いても、有力な情報はヒットしません。

作品からわかる情報は


そこでセーヌ川を河口からくまなく探したのですが、見つかりません。

もうひとつ

これは重要な情報です!
ブゾン橋はカイユボットが晩年住んでいたプティ=ジャンヌヴィリエから少し行った所にある橋です!

するとブゾン橋の近くにサン=マルタン島があるではありませんか!
サン=マルタン島はマランデ島なのでしょうか!?

しかしサン=マルタン島が改名した?という情報もみつからず、
もしや場所の名前ではないのかも?と思い
フランス人に聞いたらなんとか知っているだろうかと拙い英語でメールを書き掛けておりましたが、、、

先日、
なんと、
マランデ島、発見☆



1898年の地図に存在していました。
どうやら近年の工業化で埋め立てられてしまったようです。
※島の大きさは不明です。上図の点線よりは小さいかも。

建物はなくなるけど風景は変わらない、とすっかり思い込んでしまって、反省です。

今はもうカイユボットと同じ風景を見ることは出来ないのですね。
いつかブゾン橋に行って後地に出来たと思われるParc Departemental Pierre Lagravereでも眺めようっと。

ジヴェルニーのモネのうちへ

モネが1883年から晩年まで住んでいたジヴェルニー。
睡蓮シリーズを描いたその場所は「モネの庭」としても有名です。

今日そのモネの庭について書かれた本を読んでいたら
どうやらカイユボットもこのジヴェルニーのモネの家によく訪れていたそうです。

モネが晩年住んでいた家

モネの庭にいったことあるのにー!
その時はまだそんなこと知らなくて!
知っていたら空気をもっとい〜〜っぱい吸ってきたのに!
悔やまれますぅ。。。

カイユボット自身も庭いじりが好きだったので情報や球根の交換とかしたかもしれないですね。


庭師たち 1877年


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