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行ってきました(4)|ヨーロッパ橋

ヨーロッパ橋の場面へはカイユボットの家から歩いて行くことが出来ます。

この通りをカイユボットがスケッチブック抱えながら歩いたのだろう!
なんなら隣にモネもいたかもしれない!とうきうきしながら歩くのが吉。


ヨーロッパ橋

「ヨーロッパ橋」というタイトルですが、実際は「ヨーロッパ(ユロップ)広場」です。
近くにはローマ通り、マドリッド通りなどヨーロッパ各都市の名前がついた通りが数多くあります。
そしてヨーロッパ広場自身は6つの通りが交わる六差路の中心となっています。
広場というか、ロータリーに近いかもしれません。
その下には、すぐ近くのサン・ラザール駅から伸びた線路が走っています。

さて、カイユボットの「ヨーロッパ橋」が描かれたのは
その6つの通りのひとつヴィエンヌ通りから眺めた物です。



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あー、写真がへたくそでごめんなさい。
雰囲気は変わってしまっていますが、
奥に写っているこの屋根はカイユボットの「ヨーロッパ橋」にも描かれています。

そしてこうして写真と比べてみると、カイユボットが随分と「広角」でまた鉄柵を強調して描いたか、ということがよく分かりますね。



ただ橋の鉄柵部分はかなり変わってしまっています。
エッフェル塔みたいにごつかった鉄柵は今はこうなっています。


奥にあるのがモネの絵で有名なサン・ラザール駅。
ここもモネが描いた三角屋根があって一見の価値ありです♪

行ってきました(3)|モンソー公園

モンソー公園の話が出ましたので、モンソー公園を。

モンソー公園は、18世紀に出来たイギリス式の庭園で、地下鉄Monceau駅から歩いて行けます。
この公園を通り道にしてたくさんの人が歩いています。

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なぜか色々な遺跡風のものが点在。
ピラミッド、ローマのコリント式円柱、廃墟的な石碑など。
この庭園を造った人の趣味でしょうか??




カイユボットは1877年と78年頃にモンソー公園の描きました。

77年の方は公園の小道を。
これはタイトルがないとモンソー公園かどうか判断は難しいですね。

モンソー公園



構図は違うけど、こんな感じかなぁ?ベンチがあって遺跡が無くて。


78年頃のほうは遺跡があって、
根気があれば、どの場所だか特定できそう!

モンソー公園

今回は時間が無くて駄目だったけど、いつか特定してみたい。


この公園はモネも描いたことがあるそうです。

行ってきました(2)|青年時代の家

行ってきました第二弾。
本当は時系列的にはお父さんが別荘を買ったイエールが先なんですが、
飛んでミロメニル77番地の邸宅です。

カイユボットが18歳の頃、父マルシャルが当時できたばかりの高級住宅街に建てた家です。





ミロメニル通りとリスボン通りの角地にありましす。
ミロメニル通り側(写真右側)にはひとつの階につき7つの窓が、
リスボン通り側(写真左側)には5つの窓があります。

記録には4階建てで最上階は軒付で建てられたと記されています。
1階は使用人が使用しており、作業用の設備がありました。
2階は、作業部屋、小応接間、応接間、ダイニングルーム、オフィス、ビリヤードルームがあり、石階段で荷物用玄関の上にある室内用温室のある控え室に行けるようになっていました。
3階はそれぞれの部屋に化粧室があるベッドルームが6室と、ヒーター付のバスルームがあり、
4階には6人の使用人のベッドルームと様々な貯蔵室が、
中庭には荷物小屋と3台の馬車のための厩舎がありました。
すべての階に水道さらには温水、そしてガス、電導性の呼び鈴が行き渡っており、
それらの資産価値は土地を含め350,000フラン近くなのだそうです。


残念ながら1898年にだいぶ建て替えられてしまったとのことです。
今もきっとどなたかが住んでいるのでしょう。

ただ、カイユボットが住んでいたというプレートはあります。


—————-
GUSTAVE CAILLEBOTTE 1848-1894
MECENE DES IMPRESSIONNISTES ET ARTISTE-PEINTRE
A VECU ET TRAVAILLE ICI

ギュスターヴ カイユボット 1848-1894
印象派のパトロンであり画家
ここで暮らし、活動
—————-


この家にはカイユボットのアトリエがあったと考えられています。

ストーブのあるアトリエ

また他に何枚かこの家の中と思われる絵も描いています。


第二回印象派展に出展された「窓辺の若い男」。
モデルは弟のルネで、ミロメニル通り側の窓から外を眺めています。
この時は鉄柵ではなかったのですね。


同じく第二回印象派展に出展された「ピアノを弾く若い男」。
こちらはもう一人の弟マルシャルです。

さらにカイユボットの代表作の一つ「床の鉋かけ」もこの家だといわれています。




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この家で暮らしていた頃、カイユボットは印象派の仲間たちと出会い、
彼の代表作が生まれたのですねぇ。うんうん。

おすすめは地下鉄Monceau駅からモンソー公園を抜けて家を見学、
そのまま「ヨーロッパ橋」や「パリの通り:雨」の描かれた場所に向かうコースです♪


ちなみにジャン・ベローもこの家の絵を描いています

カバネルが好きじゃなかったらしい。

アレクサンドル=カバネルはサロン派の画家として、当時大いに幅をきかせていた画家でした。
代表作の一つが「ヴィーナスの誕生(1863)」です。

ヴィーナスの誕生 印象派の画家たちが追い求めていたものとはかけ離れていますね。


汽車が走ろうという時代に海に浮かぶヴィーナスかよ。
と印象派の画家たちが思ったかどうかは分かりませんが、
デ=ニッティス(イタリア画家。カイユボットらと親交があった)によると、カイユボットは友人の息子にこんな冗談を教えたそうです。


Ah! ah! ah! Que la vie serait belle / Si j’étais, ça, si j’étais, ça, si j’étais Cabanel.

嗚呼!もしも、もしも、もしも私がカバネルだったら人生がどんなに美しかろう!


理想化された美しい人物や風景情景を多く描いた
カバネルのことを完全に馬鹿にしていますね(笑)


私はカバネルの作品、好きですけどね r(^ω^*)))

行ってきました(1)|カイユボットの生まれたところ

パリとパリ近郊でカイユボットゆかりの地を巡ってきました。

カイユボットに限らず私は画家が絵を描いた場所に行くのが好きなのです*^^*

年代順にご紹介していきます。

カイユボットは1848年8月19日午後3時20分、パリの10区(当時の5区)フォブール=サン=ドニ(Faubourg-Saint-Denis)通り152番地(当時の160番地)で生まれました。


コレが現在の152, Rue Faubourg-Saint-Denisです。
152faubourg-saint-denis.jpg


場所は東駅と北駅の近く。
貸しインターネット屋さんになっていますが、どちらかというと雑多な地域です。
19世紀半ばはどんなところだったのかしら?


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父親が軍に寝具を卸したりする事業をしていました。
152番地に作業小屋などがあった記録があるのでこれは当時の建物ではないかもしれません。
(けどパリの建物ってどこからどこまでが1軒なんでしょう・・・?)



18歳に高級住宅街のミロメニル地域に引っ越すまで、ここで過ごしていました。



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